朝鮮史研究会ウェブサイトをリニューアルし、公開しました。
コンテンツの不足などについては今後充実させていきたいと思います。
2023年10月21日に滋賀県立大学にて開催された朝鮮史研究会総会にて、会費の値上げが幹事会より提案され、承認されました。事前アンケートにお答えいただいた会員の皆様、誠にありがとうございました。これまでも経費の削減に努めてまいりましたが、会の財政状況は厳しい状況が続いておりました。また、時代の変化に対応しながら、より活発な研究会活動を行なっていくためにも、1996年以来27年ぶりの年会費の値上げを2025年度より実施いたします。会員各位には一層のご負担をおかけすることになりますが、財政事情などをご賢察のうえ、ご理解を賜りたく存じます。
新年会費では、学生及び70歳以上の会員につきましては減免措置があります。この措置は自己申告制となりますので、会として資格の審査や確認などは行いません。
2025年度(2024年10月〜)
年会費 7000円
但し、学生(学生として所属機関のある会員)及び70歳以上の会員は、自己申告制で年会費5000円の納付を可能とする。
なお減免を希望される場合の自己申告の方法については、改めてお知らせする予定です。
東京都人権啓発センターが2022年に主催した、アーチスト飯山由貴による「あなたの本当の家を探しにいく」展では、当初、その附帯事業として映像作品《In-Mates》の上映が予定されていた。この作品は、1930年代に東京の精神病院に入所していた2人の朝鮮人の診療記録に着想を得た、在日朝鮮人ラッパーFUNIのパフォーマンスを中軸にすえた映像作品である。ところがこの上映企画は中止に追い込まれた。その過程では、作品中で歴史研究者が関東大震災時に日本人が朝鮮人を殺したことは事実と述べている場面に対して、都の担当職員が、都知事が朝鮮人虐殺被害者の追悼式典に追悼文を送らなかったことに言及したうえで、「都知事がこうした立場をとっているにも関わらず、朝鮮人虐殺を「事実」と発言する動画を使用する事に懸念があります」と表明していたことが明らかになっている。
この作品に対する公的機関の検閲は、これに始まったものではない。この作品はもともと、2021年に外務省の外郭団体である国際交流基金の出品依頼を受けて飯山が制作したものであった。ところが同基金の展示においても、「歴史認識を巡って非生産的な議論を招きかねない場面が含まれる」といった理由から、展示会期がはじまる5日前に上映中止にされた経緯があった。
これらのことは、公的な表現の場において、それも他ならぬ「人権」や「国際」の名のもとにおこなわれる場においてすら、関東大震災時の朝鮮人虐殺を事実として語ること自体が、検閲の対象とされ、排除されてしまうということを意味している。わたしたち朝鮮史研究者は、こうした東京都および国際交流基金の検閲に現れた、公的機関の歴史認識に対する姿勢に深い憂慮を覚える。
いうまでもなく、関東大震災後に、公的機関が朝鮮人「暴動」流言を「事実」として認めて拡散させ、これを信じた軍・警察・日本人市民が、朝鮮人を多数殺害したことはまぎれもない歴史的事実である。東京都が刊行している『東京百年史』もそれについて記述している。被害にあった在日朝鮮人やその遺族、地域の住民らとともに、わたしたち朝鮮史研究者も、その虐殺に関わる歴史の発掘や、史実の次世代への継承に取り組んできた。過ぎ去った歴史を掘り起こすだけではなく、再びこのような人道に対する罪を起こさせないために、また、日本人が再びこのような蛮行を引きおこすのではないかと在日朝鮮人が怯えることなく、人間としての尊厳が保障され安心して暮らすことのできる社会をつくるために、歴史に向き合う営みが積み重ねられてきたのである。
今回の一連の事態は、東京都や国際交流基金が、そうした歴史研究の知見や実践の継承を公的機関としての責務と考えるどころか、その意義や重要性を考慮せず、現時点での自分たちの立場にそぐわないと考えた史実が扱われている場合には、その関与する表現の場から排除しても構わないという認識に立っているものと考えざるをえない。あの虐殺を繰り返させないための地道な努力の積み重ねを公的機関が否定することは、再び惨劇を生み出すような社会的土壌を上から醸成することにつながりかねない。さらに今回の事態は、教科書の「強制連行」「従軍慰安婦」等の表現を改めさせるとした閣議決定(2021年)などと軌を一にした、歴史認識に対する公的な検閲を当然のものとする風潮に棹さすものと思われる。これを座視すれば、公的な検閲が、在日朝鮮人史や日本の朝鮮植民地支配にかかわる問題を扱う研究への公的助成、歴史教育の現場、さらには自治体史、博物館展示など、広範囲に及ぶことすら懸念される。
関東大震災から100年。わたしたち朝鮮史研究者は、歴史に真摯に向き合っていくことをあらためて誓うとともに、朝鮮人虐殺の事実を語ることへの公的機関の検閲に対し厳重に抗議する。
2023年8月1日
朝鮮史研究会幹事会
【参考】
『朝鮮史研究会論文集』第59集(2021年10月刊)に誤りがありました。お詫び申し上げますとともに、下記のとおり訂正させていただきます。
246 頁
【誤】 注 (1)JACAR(アジア歴史資料センター)、Ref.B02030029900、『外務大臣 (其ノ他)ノ演説及声明集』第3巻(A-1-0-0-12_003)(外務省外交史料館)。 (2)東亜協同体論が主に「引用に際し、旧字を新字に改めた(以下同様)。」を 追加。知識人を中心に植民地朝鮮で受容されたのに対し、石原莞爾を中心に 唱えられた東亜連盟論は朝鮮人社会運動家たちに影響を与えた。(後略) |
【正】 注 (1)JACAR(アジア歴史資料センター)、Ref.B02030029900、『外務大臣 (其ノ他)ノ演説及声明集』第3巻(A-1-0-0-12_003)(外務省外交史料館)。 引用に際し、旧字を新字に改めた(以下同様)。 (2)東亜協同体論が主に知識人を中心に植民地朝鮮で受容されたのに対し、 石原莞爾を中心に唱えられた東亜連盟論は朝鮮人社会運動家たちに影響を与えた。 (後略) |
『朝鮮史研究会論文集』編集委員会
2020年12月、ハーバード大学ロースクール教授のジョン・マーク・ラムザイヤー氏が書いた論文「太平洋戦争における性行為契約」が、国際的な学術誌『インターナショナル・レビュー・オブ・ロー・アンド・エコノミクス』(IRLE)のオンライン版に掲載されました。2021年1月31日に、『産経新聞』がこの論文を「「慰安婦=性奴隷」説否定」との見出しで大きくとりあげたことをきっかけに、ラムザイヤー氏とその主張が日本、韓国そして世界で一挙に注目を集めることになりました。
タイトルとは異なり、この論文は太平洋戦争より前に日本や朝鮮で展開されていた公娼制度に多くの紙幅を割いています。実質的な人身売買だった芸娼妓契約について、ゲーム理論を単純に当てはめ、金額や期間などの条件で、業者と芸娼妓の二者間の思惑が合致した結果であるかのように解釈しています。ラムザイヤー氏は、この解釈をそのまま日本軍「慰安婦」制度に応用しました。戦場のリスクを反映して金額や期間が変わった程度で、基本的には同じように朝鮮人「慰安婦」と業者のあいだで合意された契約関係として理解できると主張したのです。しかも、その議論とワンセットのものとして、朝鮮内の募集業者が女性をだましたことはあっても、政府や軍には問題がなかったと、日本の国家責任を否認する主張も展開しました。
つまり、この論文は、「慰安婦」を公娼と同一視したうえで、公娼は人身売買されていたのではなく、業者と利害合致のうえで契約を結んだことにして、「慰安婦」被害と日本の責任をなかったことにしようとしているのです。
私たちは、この論文が専門家の査読をすり抜けて学術誌に掲載されたことに、驚きを禁じ得ません。おそらく日本近代史の専門家によるチェックを受けていなかったのだと思われますが、先行研究が無視されているだけでなく、多くの日本語文献が参照されているわりに、その扱いが恣意的であるうえに、肝心の箇所では根拠が提示されずに主張だけが展開されているという問題があります。以下、主要な問題点を3つに分けて指摘します。
① まず日本軍「慰安婦」制度は公娼制度と深く関係してはいますが、同じではありません。公娼制度とは異なり、慰安所は日本軍が自ら指示・命令して設置・管理し、「慰安婦」も日本軍が直接、または指示・命令して徴募しました。娼妓や芸妓・酌婦だった女性たちが「慰安婦」にさせられた事例は、主に日本人の場合に一部見られたものの、多くの女性は、公娼制度とは関係なく、契約書もないままに、詐欺や暴力や人身売買で「慰安婦」にさせられたことが、膨大な研究から明らかになっています。にもかかわらず、ラムザイヤー氏は日本軍の主体的な関与を示す数々の史料の存在を無視しました。
何よりも氏は、自らの論点にとって必要不可欠であるはずの業者と朝鮮人「慰安婦」の契約書を1点も示していません。こうした根拠不在の主張だけでなく、随所で史料のなかから自説に都合のよい部分のみを使用しています。たとえば、この論文(6頁)で用いられている米戦時情報局の文書(1944年)には、703人の朝鮮人「慰安婦」が、どのような仕事をさせられるかも知らされずに数百円で誘拐ないし人身売買によりビルマに連れて行かれたことを示す記述がありますが、氏はこれを全く無視しています。
② 近代日本の公娼制度の理解にも大きな問題があります。公娼制度下での芸娼妓契約が、実態としては人身売買であり、廃業の自由もなかったことは、既に多数の先行研究と史料で示されています。しかしラムザイヤー氏は、ここでも文献の恣意的使用によって、あるいは根拠も示さずに、娼妓やからゆきさんを自由な契約主体のように論じています。たとえば、この論文(4頁)では『サンダカン八番娼館』を参照し、「おサキさん」が兄によって業者に売られたことについて、業者はだまそうとしていなかったとか、彼女が10歳でも仕事の内容は理解していたなどと主張しています。しかしラムザイヤー氏は、彼女が親方に「嘘つき!」と抗議したことなど、同書に氏の主張をくつがえす内容が記されていることを無視しています。
③ この論文は、そもそも女性の人権という観点や、女性たちを束縛していた家父長制の権力という観点が欠落しています。女性たちの居住、外出、廃業の自由や、性行為を拒否する自由などが欠如していたという意味で、日本軍「慰安婦」制度は、そして公娼制度も性奴隷制だったという研究蓄積がありますが、そのことが無視されています。法と経済の重なる領域を扱う学術誌の論文であるにもかかわらず、当時の国内法(刑法)、国際法(人道に対する罪、奴隷条約、ハーグ陸戦条約、強制労働条約、女性・児童売買禁止条約等)に違反する行為について真摯な検討が加えられた形跡もありません。
以上の理由から、私たちはラムザイヤー氏のこの論文に学術的価値を認めることができません。
それだけではなく、私たちはこの論文の波及効果にも深刻な懸念をもっています。日本の国家責任を全て免除したうえで、末端の業者と当事者女性の二者関係だけで説明しているからこそ、この論文は、一研究者の著述であることをこえて、日本の加害責任を否定したいと欲している人々に歓迎されました。「慰安婦は公娼だった」「慰安婦は自発的な売春婦」「慰安婦は高収入」「慰安婦は性奴隷ではない」……。これらは、1990年代後半から現在まで、日本や韓国などの「慰安婦」被害否定論者たちによって繰り返し主張されてきた言説です。今回、米国の著名大学の日本通の学者が、同様の主張を英字誌に出したことで、その権威を利用して否定論が新たな装いで再び勢いづくことになりました。それとともに、この論文の主張に対する批判を「反日」などと言って攻撃するなど、「嫌韓」や排外主義に根ざした動きが日本社会で再活発化しています。私たちは、このことを深く憂慮しています。
以上を踏まえ、私たちはまずIRLEに対し、この論文をしかるべき査読体制によって再審査したうえで、掲載を撤回するよう求めます。また、日本で再び広められてしまった否定論に対して、私たちは事実と歴史的正義にもとづき対抗していきます。今回の否定論は、日本、韓国、北米など、国境をこえて展開しています。であればこそ私たちは、新たな装いで現れた日本軍「慰安婦」否定論に、国境と言語をこえた連帯によって対処していきたいと考えています。
2021年3月10日
Fight for Justice(日本軍「慰安婦」問題webサイト制作委員会)
歴史学研究会
歴史科学協議会
歴史教育者協議会
2021年3月13日
日本史研究会
2021年3月27日
朝鮮史研究会幹事会
In December 2020, the international academic journal International Review of Law and Economics (IRLE) published online Harvard Law School Professor J. Mark Ramseyer’s article “Contracting for Sex in the Pacific War.” On January 31, 2021, Sankei shimbun presented the article’s findings under the headline “Repudiation of the argument that ‘comfort women = sex slaves,’” drawing wider attention to Ramseyer’s claims in Japan, South Korea, and also the world.
In contrast with the title, the actual article devotes a significant amount of space to discussing the pre-Pacific War system of legalized prostitution in Japan and Korea. The author applies principles of game theory simplistically to the contracts of prostitutes, which actually involved human trafficking, and presents these as if they had been agreements resulting from calculations made by two parties, the prostitute and the brothel proprietor, over conditions such as amount of payment and contract duration. Ramseyer then applies this interpretation to the case of the Japanese Imperial Military system of “comfort women.” He asserts that such agreements changed only in terms of pay and duration to reflect the risks of the battlefield, but can be understood as fundamentally the same consensual contractual relationship between Korean “comfort women” and proprietors. Moreover, as part and parcel of this argument, the author argues that, even in cases in which recruiters in Korea deceived women, this did not involve the Japanese government or military. Thus, this argument also denies the Japanese state’s responsibility.
That is to say that this article, in conflating “comfort women” with licensed prostitutes and arguing that licensed prostitutes were not subject to human trafficking but were parties to mutually beneficial contracts with proprietors, is trying to deny that there was any harm done to “comfort women” and that Japan bears any responsibility.
We cannot suppress our astonishment that this article passed through a scholarly peer review process and was published in an academic journal. We can only imagine that it was not checked by a specialist in modern Japanese history. Beyond that, the article not only ignores previous research and treats many cited Japanese sources arbitrarily, but it also makes essential assertions without offering any evidence. Below, we have organized the problematic issues into three main categories.
1) First of all, although the Japanese Imperial Military’s “comfort women” system and the system of licensed prostitution were deeply related, they were not the same. Unlike licensed prostitution, “comfort stations” were set up and managed at the direction and command of the Japanese military itself. “Comfort women” were recruited directly by the Japanese military or by military instruction or command. A vast body of research has made it clear that although there were cases of recruitment of women who had previously worked as prostitutes, geisha, or barmaids especially among Japanese women, most of the women had no involvement in the licensed prostitution system and were made to work as “comfort women” without contracts, through deception, violence, and human trafficking. Nevertheless, Ramseyer ignores the existence of numerous documents demonstrating the active involvement of the Japanese military.
Most crucially, Ramseyer does not provide even one contract between a proprietor and a Korean “comfort woman,” even though such a document should be essential to his own argument. Beyond this kind of unsubstantiated claim, at every instance he uses only those parts of sources that are convenient for his own assertions. For example, a document he cites on page six of his article, a U.S. Office of War Information report from 1944, includes the information that 703 Korean “comfort women” who were brought to Burma did not understand the nature of the work before coming, and that many were subjected to human trafficking or kidnapping. Ramseyer does not acknowledge this information in the source at all.
2) There are also serious problems with his understanding of the modern prostitution system. Both the primary sources themselves and a voluminous historiography on this subject make clear that under the system of licensed prostitution, contracts for prostitutes were actually agreements to buy and sell people. Women were not free to stop working. But Ramseyer, through arbitrary citations to secondary sources and without producing evidence, argues that prostitutes and karayuki-san (women who were trafficked overseas to work at brothels) freely entered into contracts. For example, on page four of his article, he cites Sandakan Brothel Number 8 to assert that the subject, Osaki, who was sold to a proprietor by her older brother, was not deceived by the proprietor and that even at the age of ten she knew what the job entailed. However, Ramseyer ignores several episodes from the book that contradict his assertions, including an instance in which Osaki resisted her employer and called him “a liar.”
3) This article completely lacks any perspective on women’s human rights and overlooks the authority exerted by a patriarchal system that placed restraints on women. Years of accumulated research suggests that—because women were denied freedom of residence, freedom of movement, the freedom to quit prostitution, and the freedom to refuse sexual activity—the Japanese military’s “comfort woman system,” like the system of licensed prostitution itself, was a form of sexual slavery. But this research is ignored in the article. Even though this is an article published in a journal that covers the related fields of law and economics, there is not even a trace of a sincere effort to investigate violations of domestic (criminal) law or international law (such as treaties or conventions concerning crimes against humanity, slavery, forced labor, the sale of women and children, or the Hague Conventions).
For the reasons stated above, we cannot recognize any academic merit in Ramseyer’s article.
Moreover, we are gravely concerned about the spillover effect of Ramseyer’s article. In addition to absolving the Japanese state of responsibility by explaining the “comfort woman” phenomenon in terms of a simple bilateral relationship between two parties (the woman and the proprietor), this article’s significance goes beyond that of simply being a piece of research by one researcher. It has been embraced by people who wish to deny Japan’s responsibility for perpetrating harm. Since the late 1990s, those in Japan, Korea, and elsewhere who deny Japanese state responsibility for the “comfort women” system have insisted on statements similar to those made in Ramseyer’s article: “Comfort women were licensed prostitutes,” “Comfort women were engaged in voluntary prostitution,” “Comfort women were highly compensated,” “Comfort women were not sex slaves.” This article of Ramseyer’s encourages such denialists, who use the authority of an academic journal and Ramseyer’s position as a scholar of Japan at a celebrated university in the United States to launder and regenerate their arguments. In addition, they attack criticism of this article’s claims as “anti-Japanese,” revitalizing an undercurrent of xenophobia and hatred toward Koreans in Japanese society. We are deeply anxious about this.
In light of the above, we would like to first request that the IRLE re-examine this article through an appropriate process of peer review and then, according to the results, retract its publication. In addition, our commitment to facts and historical justice leads us to oppose this denialist argument once again spreading in Japan. The current denialist argument is crossing borders as it expands through Japan, Korea, North America, and elsewhere. This is precisely why we wish to stand against this new form of the denialist argument about the Japanese imperial military’s “comfort women” through a solidarity that transcends borders and languages.
March 10, 2021
Fight for Justice (The Japanese Military “Comfort Women” Issue Website Production Committee)
The Historical Science Society of Japan
The Association of Historical Science
The History Educationalist Conference of Japan
March 13, 2021
The Japanese Society for Historical Studies
March 27, 2021
The Japan Association for Korean History (Committee)
2020년12월, 하버드대학 로스쿨 존 마크 램지어 교수가 쓴 논문 [태평양전쟁에서의 성행위 계약]이 국제적인 학술지 <국제법경제리뷰>( IRLE : International Review of Law and Economics)의 온라인판에 게재되었다. 2021년1월31일, 『산케이신문』이 이 논문을 「「위안부=성노예」설의 부정」이라는 타이틀로 크게 게재한 것을 계기로, 램지어 교수와 그의 주장이 일본, 한국 그리고 세계적으로 일거에 주목을 받게 되었다.
타이틀과 달리, 이 논문은 태평양전쟁 이전에 일본이나 조선에서 전개되고 있었던 공창(公娼)제도에 많은 지면을 할애하고 있다. 실질적인 인신매매였던 예창기(芸娼妓)계약에 대해서 게임이론을 단순히 적용하여, 금액이나 기간 등의 조건은, 업자와 예창기의 양자간의 생각이 합치한 결과인 것 처럼 해석하고 있다. 램지어씨는, 이 해석을 그대로 일본군「위안부」제도에 적용하였다. 전장(戦場)의 리스크를 반영해서 금액이나 기간이 바뀐 것 일 뿐, 기본적으로는 동일하게 조선인「위안부」와 업자간의 합의된 계약관계로 이해할 수 있다라고 주장하고 있는 것이다. 게다가, 이 주장과 함께, 조선내의 모집업자가 여성을 속인 것은 있지만, 일본정부나 군에게는 문제가 없었다며, 일본국가의 책임을 부정하는 주장도 전개하고 있다.
즉, 이 논문은 「위안부」를 공창과 동일시하고 있을 뿐만 아니라, 공창은 인신매매된 것이 아니라, 업자와의 이해관계가 일치된 가운데 계약을 맺었으며, 「위안부」의 피해와 일본의 책임을 없었던 것으로 하려고 하고 있는 것이다.
우리들은, 이 논문이 전문가의 심사를 제대로 거치지 않고 학술지에 게재되었다는 것에 대해서 놀라움을 금할 수 없다. 아마도 일본근대사 전문가에 의한 체크를 받지 않은 것이 원인으로 보인다. 이 논문은 선행연구가 무시된 것 만이 아니라, 많은 일본어 문헌이 참조되고 있는 것에 비해서, 그 취급이 자의적인 탓에, 중요한 부분에서는 근거가 제시되지 않은 채 주장만이 전개되고 있다는 문제가 있다. 이하 이 논문의 주요 문제점을 3가지 측면에서 지적한다.
첫째, 일본군「위안부」제도는 공창제도와 깊은 관련이 있지만, 동일한 것은 아니다. 공창제도와는 달리, 위안소는 일본군이 직접 지시, 명령하여 설치, 관리하였고, 「위안부」도 일본군이 직접, 또는 지시, 명령에 의해서 징모(徴募)하였다. 창기(娼妓)나 예기(芸妓)・작부(酌婦)였던 여성들이 「위안부」로 된 사례는, 주로 일본인의 경우는 일부 발견된 사례도 있다. 하지만, 많은 여성들은, 공창제도와는 관계없이, 계약서도 없는 상태로, 사기나 폭력, 인신매매의 형태로 「위안부」로 강제되었다는 것은, 이미 방대한 연구를 통해서 밝혀져 있다. 그럼에도 불구하고 램지어씨는 일본군의 주체적인 관여를 보여주는 수많은 사료(史料)의 존재를 무시하고 있다.
무엇보다 램지어씨는, 자신의 논거에 있어서 필수불가결한 업자와 조선인「위안부」의 계약서를 1점도 제시하지 못하고 있다. 이처럼 근거가 부재한 주장만이 반복될 뿐만 아니라, 여러 곳에서 인용하고 있는 사료중 자신의 주장을 정당화하는 부분만을 채택하고 있다. 예를들어, 이 논문(6페이지)에서 인용하고 있는 미전시정보국(米戦時情報局)의 문서(1944년)에는, 703인의 조선인「위안부」가, 어떠한 일을 하게될지도 알려주지 않은 채 수백엔에 의해서 유괴 또는 인신매매에 의해 미얀마로 연행되었다는 것을 보여주는 기술이 있지만, 램지어씨는 이것을 완전히 무시하고 있다.
둘째, 일본의 공창제도에 대한 이해에도 큰 문제가 있다. 공창제도하에서 芸娼妓(예창기)계약은, 실제로는 인신매매이고, 폐업의 자유가 없었다는 점은, 이미 많은 선행연구와 사료가 보여주고 있다. 그러나 램지어씨는, 여기에서 문헌을 자의적으로 사용하면서, 또한 근거를 제시하지도 않은 채, 창기나 매춘부, 가라유키상을 자유로운 계약의 주체처럼 논하고 있다. 예를들면 이 논문(4페이지)에서는 산다칸8번창관을 참조하여, 「사키 상」이 오빠에 의해서 업자에게 매매된 것에 대해서, 업자가 속이려고 한 것이 아니었다 라든지, 그녀는 10살이었지만 일의 내용은 이해하고 있었다 라고 주장하고 있다. 하지만, 램지어씨는 그녀가 현장감독에게 [거짓말쟁이!]라고 항의한 것 등, 동 문서에 그의 주장을 반박하는 내용이 기재되어있는 것은 무시하고 있다.
셋째, 이 논문은 근본적으로 여성의 인권이라는 관점이나, 여성들을 속박하고 있던 가부장제 권력의 관점들이 결여되어 있다. 여성들의 거주, 외출, 폐업의 자유, 성행위를 거부할 자유 등이 결여되어 있다는 점에 있어서, 일본군「위안부」제도, 그리고 공창제도도 성노예제였다는 연구의 축적은 이미 많이 되어있다. 하지만, 이 논문에서는 이런 연구들이 무시되고 있다. 법과 경제의 겹치는 영역을 다루는 학술지의 논문임에도 불구하고, 당시의 국내법(형법), 국제법(인도에 대한 죄, 노예조약, 헤이그육전조약(ハーグ陸戦条約), 강제노동조약, 여성・아동매춘금지조약 등)에 위반하는 행위에 대해서 진지한 검토가 이루어졌다는 흔적을 찾을 수가 없다.
이상과 같은 이유로, 우리들은 램지어씨의 이 논문에는 학술적인 가치를 인정할 수가 없다. 뿐만 아니라, 우리들은 이 논문의 파급효과에 대해서도 심각한 우려를 하고 있다. 이 논문은 일본국가의 책임을 완전히 면제하고 있을 뿐만 아니라, 말단 업자와 당사자 여성과의 양자관계만으로 설명을 하고 있기 때문에, 한 연구자의 저술이라는 것을 넘어서, 일본의 가해책임을 부정하고 싶어서 안달하고 있는 이들의 환영을 받고 있다. 「위안부는 공창(公娼)이었다」 「위안부는 자발적인 매춘부」 「위안부는 고수입」 「위안부는 성노예가 아니다」……。이런 주장들은, 1990년대 후반부터 현재까지, 일본이나 한국 등에서 「위안부」피해 부정론자들이 반복적으로 주장해 온 언설이다. 이번 미국 저명대학의 일본전문 학자가, 동일한 주장을 영문 학술지에 발표한 것에 의해, 그 권위를 이용해서 부정론이 새롭게 포장되어 다시 세력을 확대하고 있다. 뿐만 아니라, 이 논문의 주장에 대한 비판을 「반일」이라며 공격하는 등, 「혐한」이나 배외주의에 뿌리깊은 움직임이 일본사회에서 다시 활발해지고 있다. 우리들은, 이런 상황을 심각하게 우려하고 있는 것이다.
이상과 같은 연유로, 우리들은 먼저 IRLE에 대해서, 이 논문에 대해서 신뢰할 수 있는 사독(査読)체제에 기반해서 재심사를 한 후, 게재를 철회할 것을 요구한다. 또한, 일본에서 다시 확대되고 있는 부정론에 대해서, 우리들은 사실과 역사적 정의에 기반해서 대응해 나갈 것이다. 이번 부정론은, 일본, 한국, 북미 등 국경을 넘어서 전개되고 있다. 그렇기 때문에 우리들은, 새롭게 위장된 형태로 나타난 일본군「위안부」부정론에 대해서, 국경과 언어를 넘어서 연대하며 대처해 나갈 것이다.
2021년3월10일
Fight for Justice(일본군「위안부」문제web사이트 제작위원회)
역사학연구회(歴史学研究会)
역사과학협의회(歴史科学協議会)
역사교육자협의회(歴史教育者協議会)
2021년3월13일
일본사연구회 (日本史研究会)
2021년3월27일
조선사연구회 간사회(朝鮮史研究会幹事会)
PDF版をご覧ください(以下は本文のみ)
私たち人文・社会科学分野の339学協会は、日本学術会議が発出した2020(令和2)年10月2日付「第25 期新規会員任命に関する要望書」に賛同し、下記の2点が速やかに実現されることを強く求めます。
1.日本学術会議が推薦した会員候補者が任命されない理由を説明すること。
2.日本学術会議が推薦した会員候補者のうち、任命されていない方を任命すること。
2020年10月17日にオンライン開催された朝鮮史研究会会員総会において、日本歴史学協会の「菅首相による日本学術会議会員の任命拒否に強く抗議する」(声明)に賛同する決議が行われました。同総会では同協会に対して今後、声明文等において「わが国」という表現を用いないよう求める付帯決議も行われました。上記声明は下記より発表されております。
菅首相による日本学術会議会員の任命拒否に強く抗議する(声明) [リンク]
日本学術会議(以下、学術会議とする)第25期の活動が開始されるにあたり、学術会議が推薦した会員候補105名のうち、日本近代史を専攻する歴史学者1名を含む6名の候補の任命を、菅首相は拒否した。
そもそも日本学術会議法(以下、法とする)第七条2に「会員は、第十七条の規定による推薦に基づいて、内閣総理大臣が任命する。」とあり、第十七条には「日本学術会議は、規則で定めるところにより、優れた研究又は業績がある科学者のうちから会員の候補者を選考し、内閣府令で定めるところにより、内閣総理大臣に推薦するものとする。」とある。したがって、学術会議の会員の任命にあたっては、何よりも学術会議の推薦が尊重され、内閣総理大臣の任命は形式的なものであることは明らかである。この点、1983年5月12日の参議院文教委員会における中曽根康弘首相(当時)の「これは、学会やらあるいは学術集団から推薦に基づいて行われるので、政府が行うのは形式的任命にすぎません。したがって、実態は各学会なり学術集団が推薦権を握っているようなもので、政府の行為は形式的行為であるとお考えくだされば、学問の自由独立というものはあくまで保障されるものと考えております。」との発言からも裏づけられる。
菅首相による今回の任命拒否は、こうした法の規定や従来の政府見解を踏みにじる、まさしく法律違反であり、とうてい容認することはできない。
また、菅首相が、今回の任命拒否にあたって、歴史学を含む人文・社会科学の6名の研究者をその対象にしたことも看過できない。
まず、その6名の研究者をなぜ任命拒否したかについての個別の事情を明らかにしないことが問題である。おおかたの観測によれば、6名の研究者が、安倍政権時代、安全保障関連法制、特定秘密保護法、いわゆる共謀罪の創設を含む改正組織的犯罪処罰法等に反対の意思を表明したことが、任命拒否の理由ではないかとされているが、かりにそうした政策批判を理由に任命拒否を行ったのであるならば、これは、”御用機関に堕す”よう政府が学術会議に強要することにほかならない。同時に「科学に関する重要事項を審議し、その実現を図」り「科学に関する研究の連絡を図り、その能率を向上させる」職務を「独立」して学術会議が行うとする法第三条の規定に違反する行為であると言わざるを得ず、ひいては日本国憲法第二十三条で保障される「学問の自由」を侵すものに他ならない。
今回の事態に私たちは、歴史学を専攻する研究者として、戦前において、久米邦武事件、津田左右吉事件などの諸事件において、歴史学の研究成果が政治的に否定されたこと、あるいは、国民統制を目的にして史実に反する歴史の教育が強制されたことを想起せざるを得ない。戦後民主主義下の1949年に学術会議が発足するにあたって、「われわれは、これまでわが国の科学者がとりきたった態度について強く反省し、今後は、科学が文化国家ないし平和国家の基礎であるという確信の下に、わが国の平和的復興と人類の福祉増進のために貢献せんと誓うものである。(中略)われわれは、日本国憲法の保障する思想と良心の自由、学問の自由及び言論の自由を確保するとともに、科学者の総意の下に、人類の平和のためあまねく世界の学界と連携して学術の進歩に寄与するよう万全の努力を傾注すべきことを期する」(「日本学術会議の発足にあたって科学者としての決意表明(声明)」1949年1月22日)と誓ったことにかんがみると、今回の事態はまさにこの学術会議設立の精神を否定するものである(「日本学術会議創立70周年記念展示日本学術会議の設立と組織の変遷」)。
さらに、今回の任命拒否の対象が、政治・社会等の課題を発見し未来に向かって提言することを一つの使命とする人文・社会科学に携わる研究者であったことは、政権の一部にある、人文・社会科学を軽視しその存在意義を認めない傾向――例えば、2015年6月8日の下村博文文科相(当時)が国立大学法人に対して行った通知(「国立大学法人等の組織及び業務全般の見直しについて」)にも通底する――を助長することにつながる。万一、こうした動きに「忖度して」人文・社会科学を学ぼうとする方々が少なくなれば、日本の学問・研究は萎縮していくことになるであろう。
私たち歴史研究者は、学術会議の「答申」により文部省史料館(のちに国立史料館、現在の国文学研究資料館)が設立され、また学術会議の「公文書散逸防止にむけて」(勧告)が国立公文書館の設立につながったことを知っている。そして、現在に至るまで、学術会議が、毎年さまざま提言・報告を出すことにより、学術の基盤を整備するために尽力してきたことを知っている。歴史資料・文化財の保全や公文書管理は、現在まさに急務となっており、その充実に学術会議が果たすべき役割はきわめて大きく、政府や社会へのさらなる働きかけを期待するものである。
以上、わが国の歴史学系学会の連合組織である日本歴史学協会は、「思想と良心の自由、学問の自由及び言論の自由」がないがしろにされ侵害されている現状を深く憂い、賛同する学会と共同で本声明を出すことにした。今回任命拒否された6名の研究者をただちに会員に任命するよう強く求めるものである。
2020年10月18日
2018年10月、大韓民国(韓国)の大法院(最高裁判所)は、韓国人強制動員被害者の訴えを認めて、新日鉄住金(現在の日本製鉄)に対して賠償を命じる判決を確定させました。その後、2019年1月にかけて、同様に、三菱重工業、不二越および日立造船に賠償を命じる大法院の3つの判決が続きました。これらの判決を受けて日本政府は、1965年の日韓請求権協定によって「解決済み」だ、「国際法違反」だとして、韓国政府に対して抗議を行いました。朝鮮史研究の蓄積と学術的観点からみて、「解決済み」とする日本政府の主張は歴史的な事実を無視するものです。
2019年7月以降、日本政府は韓国への輸出管理を強化しました。これは大法院判決とそれへの韓国政府の対応に対する報復措置だと受け止められました。この措置は日本と韓国の友好と平和に反する行為だと言わざるを得ません。以下、私たちの見解を表明します。
1.植民地支配下の戦時強制動員・強制労働の歴史を公正に語るべきです
大法院判決は、不法な植民地支配下での戦時強制動員・強制労働への損害賠償(慰謝料)が日韓請求権協定では未解決だとするもので、加害企業の反人道的行為があったことを認め、被害者の人権の回復を求めるものでした。ところがこの間、日本政府と日本の主要メディアは日韓請求権協定で「解決済み」との主張を繰り返すばかりで、日本による反人道的行為や被害者らの人権侵害の歴史についてはほとんど語ろうとしていません。これまでの朝鮮史研究によって、数多くの朝鮮人が戦時下での「募集」「官斡旋」「徴用」などの政策にもとづいて強制動員され、厳重な監視の下で苛酷な労働を強いられていたことが明らかにされています。違法な強制労働があったことは日本での裁判でも事実認定されています。まず日本政府とメディアは被害者がなぜ、どのようにして強制動員・強制労働をさせられたのか、学術研究にもとづいて歴史を公正に語ることから始める必要があります。そのことを語らずして「解決済み」だと主張し続けることは、日本の加害行為と被害者らの人権侵害の歴史を覆い隠してしまうことになります。
2.日韓請求権協定では解決されていません
2005年以降の日韓での外交文書の新たな公開により日韓請求権交渉に関する研究が進展し、請求権交渉とその結果締結された請求権協定では、強制動員被害者に対する真実究明、謝罪および賠償などの責任は果たされなかったことが明らかにされました。植民地支配を合法で正当なものだとする日本政府と韓国併合条約は当初から無効だったとする韓国政府の見解が対立し、植民地支配に対する歴史認識については合意に至らなかった交渉過程の詳細も明らかになりました。請求権交渉においては、日韓の「財産」「請求権」のみが議論され、請求権協定では、日本から工場施設や原材料などを韓国に無償・有償で提供する「経済協力」を以って、「財産」「請求権」問題に限って「完全かつ最終的に解決された」こととされました。日本の植民地支配責任・戦争責任と強制動員被害者の人権侵害という論点については交渉の議題にはなりませんでした。強制動員被害者に対する責任は、果たされることなく未解決の課題として残されたのです。
3.強制動員・日韓会談関連資料の公開を求めます
韓国政府は2004年に、「日帝強占下強制動員被害真相糾明等に関する特別法」を制定し、強制動員被害の本格的な真相糾明作業を開始しました。それに対して日本政府は、韓国政府の要請に応じて強制動員被害者の名簿などを引き渡し、また被害者と日韓市民の文書公開要求運動を受けて日韓会談文書の大半を公開しましたが、強制動員された労働者については、本格的な資料調査・公開は行っていません。日本政府は、強制動員・強制労働に関連する非公開の歴史資料や非開示の日韓会談文書などを調査し、公開すべきです。また強制動員・強制労働に関与した当該企業も、所有する資料を調査し、公開することが求められています。
4.日本政府と当該企業は「過去の克服」に向けての責務を果たすべきです
韓国政府は2005年、「国家権力が関与した反人道的不法行為については、請求権協定により解決されたものとみることができず、日本政府の法的責任は残っている」との官民共同の諮問委員会による答申を受けました。その上で強制動員被害者問題については、「被害者の痛みを治癒するため、道義的・援護的次元と国民統合の側面から政府の支援対策を講じる」方針を打ち出しました。この方針に基づいて2007年には「太平洋戦争前後の国外強制動員犠牲者等の支援に関する法律」、2010年には「対日抗争期強制動員被害調査及び国外強制動員犠牲者等の支援に関する特別法」を制定し、国家レベルで被害者への支援措置を行ってきました。一方、日本政府と当該企業は「解決済み」を繰り返すばかりで、被害者への支援措置は行ってきませんでした。日本政府と当該企業は、植民地支配責任の観点に立って、その過去を克服するために、植民地支配下での加害・被害の事実と法的責任を認めて謝罪と賠償を行い、被害と加害の事実について将来世代に教育する、という責務を果たす必要があります。これは、朝鮮民主主義人民共和国との国交正常化という重要な課題を遂行する上においても、不可欠の責務です。
5.排外主義を克服して基本的人権が尊重される社会を作る必要があります
日本政府は大法院判決とそれへの韓国政府の対応に対して「暴挙」「無礼」などと露骨で一方的な批判を行い、日本のマスコミの多くは、そうした日本政府の姿勢を無批判に報道してきました。これまで地道に積み重ねてきた日韓間の交流が、中断を余儀なくされています。そして在日朝鮮人を含め、朝鮮・韓国への憎悪や差別を煽るような言動がテレビ、新聞、雑誌やSNS上に拡散し、甚だしくは暴力を扇動する発言まで公然と流布しています。日本社会は、朝鮮人を差別し排除する植民地主義を戦後も克服できずにきました。今日、日本社会の中で影響力を強めつつある排外的な言動に立ち向かい、出自に関わりなく基本的人権が尊重される社会を作っていく必要があります。私たち朝鮮史研究者は、学術的見地からこの課題に真摯に取り組んでいきます。
2019年10月29日
朝鮮史研究会
2018년 10월 한국 대법원은 한국인 강제동원 피해자들의 호소를 인정하고 신일철주금(현, 일본제철)에 배상을 명하는 판결을 확정했습니다. 이후 미쓰비시 중공업, 후지코시, 히타치 조선에도 마찬가지로 배상을 명하는 대법원의 세 판결이 2019년 1월까지 이어졌습니다. 이러한 판결에 대해 일본 정부는 1965년 한일 청구권협정으로 “해결되었다”, “국제법 위반”이다, 라고 하며 한국 정부에 항의했습니다. 조선사(Korean history) 연구의 축적과 학술적 관점에서 볼 때 “해결되었다”는 일본 정부의 주장은 역사적 사실을 무시한 것입니다.
2019년 7월 이후 일본 정부는 한국에 대한 수출 관리를 강화했는데, 대법원 판결과 한국 정부의 대응에 대한 보복 조치로 간주되고 있습니다. 이 조치는 일본과 한국의 우호와 평화에 반하는 행위라고 할 수밖에 없습니다. 이에 아래와 같이 저희들의 견해를 표명하는 바입니다.
1.식민지 지배 하의 전시 강제동원・강제노동의 역사를 공정하게 이야기해야 합니다.
대법원 판결은 불법적 식민지 지배 아래 수행된 전시 강제동원・강제노동에 대한 손해배상(위자료)이 한일 청구권협정으로는 해결되지 않았다고 판단한 것으로, 가해 기업의 반인도적 행위가 있었음을 인정하고 피해자의 인권 회복을 촉구한 것이었습니다. 그런데 최근 일본 정부와 일본의 주요 언론은 한일 청구권협정으로 “해결되었다”는 주장을 되풀이할 뿐, 일본에 의한 반인도적 행위와 피해자들의 인권 침해의 역사에 대해서는 거의 말하려 하지 않습니다. 지금까지의 조선사 연구에 의해, 수많은 조선인들이 전시 하에서 ‘모집’ ‘관알선’ ‘징용’ 등의 정책에 근거해 강제동원되었고 엄중한 감시 하에서 가혹한 노동을 강요받았다는 사실이 밝혀졌습니다. 위법한 강제노동이 있었음은 일본에서 진행된 재판에서도 사실인정된 바 있습니다. 우선 일본 정부와 언론은 피해자들이 왜, 어떻게 강제동원・강제노동을 당했는지에 관한 역사를 학술 연구에 근거하여 공정하게 이야기하는 것부터 시작할 필요가 있습니다. 이 역사를 말하지 않고 계속 “해결되었다”고만 주장한다면 일본의 가해 행위와 피해자들의 인권 침해의 역사는 은폐되고 맙니다.
2.한일 청구권협정으로는 해결되지 않았습니다.
2005년 이후 한일 양국에서 그때까지 공개하지 않던 외교문서를 공개함으로써 한일 청구권교섭에 대한 연구가 진전되었고, 청구권교섭과 그 결과 체결된 청구권협정으로는 강제동원 피해자에 대한 사실 규명, 사죄 및 배상 등의 책임이 끝나지 않았다는 사실이 밝혀졌습니다. 식민지 지배를 합법적이자 정당한 것으로 보는 일본 정부와 한국병합 조약은 애초에 무효였다고 보는 한국 정부의 견해가 대립하여, 결국 식민지 지배에 관한 역사 인식에 대해서는 합의하지 못했다는 교섭 과정의 구체적 내용도 밝혀졌습니다. 청구권교섭 과정에서는 한일 간의 ‘재산’ ‘청구권’만 논의되었고, 청구권협정에서는 일본이 한국에 공장 시설 및 원재료 등을 무상・유상으로 제공하는 ‘경제협력’을 통해 ‘재산’ ‘청구권’ 문제에 한해서 “완전히 그리고 최종적으로 해결된 것이 된다”라고 마무리되었습니다. 일본의 식민지 지배 책임 및 전쟁 책임, 그리고 강제동원 피해자들의 인권 침해라는 논점에 대해서는 교섭의 의제가 되지 못했습니다. 강제동원 피해자들에 대해서는 아무런 책임도 지지 않은 채 미해결 과제로 남겨지게 되었습니다.
3.강제동원, 한일회담 관련 자료 공개를 촉구합니다.
2004년 한국 정부는 ‘일제강점하 강제동원피해 진상규명 등에 관한 특별법’을 제정하여 강제동원 피해에 대한 본격적인 진상규명 작업을 시작했습니다. 이에 일본 정부는 한국 정부의 요청에 응하여 강제동원 피해자 명부 등을 전달하고 피해자와 한일 시민들의 문서공개 요구운동에 응하여 한일회담 문서 대부분을 공개했습니다. 하지만 강제동원되었던 노동자에 대해서는 본격적인 자료 조사와 공개가 이루어지지 않고 있습니다. 일본 정부는 강제동원・강제노동에 관한 비공개 역사자료 및 아직 개시되지 않은 한일회담 문서 등을 조사하고 공개해야 합니다. 그리고 강제동원・강제노동에 관여한 해당 기업도 기업 소장 자료를 조사, 공개할 것을 촉구하는 바입니다.
4.일본 정부와 해당 기업은 ‘과거의 극복’을 위한 책무를 다해야 합니다.
한국의 민관공동위원회는 2005년, ‘국가권력이 개입한 반인도적 불법행위는 청구권협정으로 해결되었다고 볼 수 없으며 일본 정부의 법적 책임은 남아 있다’라는 논의 결과를 발표했습니다. 한국 정부는 이 결과를 받아 강제동원 피해자 문제에 대해서 ‘피해자의 아픔을 치유하기 위한 도의적・원호적 차원, 그리고 국민통합적 차원의 정부 지원 대책을 마련’하겠다는 방침을 세웠습니다. 이 방침에 따라 2007년 ‘태평양전쟁 전후 국외 강제동원희생자 등 지원에 관한 법률’을 제정하고 국가 차원에서 피해자 지원 조치를 시행해 왔습니다. 한편 일본 정부와 해당 기업은 “해결되었다”는 말만 되풀이할 뿐 피해자들에 대한 지원 조치는 취하지 않았습니다. 일본 정부와 해당 기업은 식민지 지배 책임의 관점에서 이 과거를 극복하기 위해 식민지 지배 하의 가해・피해 사실과 법적 책임을 인정하고 사죄와 배상을 하고, 미래 세대에게 피해・가해 사실을 가르쳐야 한다는 책무를 다할 필요가 있습니다. 이는 조선민주주의인민공화국과의 국교정상화라는 중요한 과제 수행에 있어서도 반드시 수행되어야 할 책무입니다.
5.배외주의를 극복하고 기본적 인권이 존중받는 사회를 만들 필요가 있습니다.
일본 정부는 대법원 판결과 이에 대한 한국 정부의 대응에 대해서 ‘폭거’ ‘무례’ 등의 단어로 노골적, 일방적으로 비판하고 있고, 많은 일본의 언론은 이러한 일본 정부의 자세를 무비판적으로 보도하고 있습니다. 지금까지 착실하게 쌓아온 한일 간의 교류가 중단될 지경에 이르렀습니다. 그리고 재일조선인을 포함한 조선・한국에 대한 증오와 차별을 선동하는 듯한 언동이 텔레비전, 신문, 잡지 및 SNS 상에 확산되고 있고, 심지어는 폭력을 부추기는 발언까지 공공연히 유포되고 있습니다. 일본 사회는 조선인을 차별하고 배제하는 식민주의를 전후 지금까지도 극복하지 못하고 있습니다. 오늘날 일본 사회 내부에서 영향력이 커지고 있는 배외적 언동에 대항하여 출신과 상관없이 기본적 인권이 존중받는 사회를 만들어 나갈 필요가 있습니다. 우리 조선사 연구자들은 학술적 견지에서 이러한 과제에 대해 진지하게 고민하고 행동해 나가겠습니다.
2019년 10월 29일
조선사연구회
THE SOCIETY FOR KOREAN HISTORICAL SCIENCE
2015年8月14日、安倍晋三首相は、第二次世界大戦終結から70年という節目に当たって、閣議決定ののちに「内閣総理大臣談話」を発表した。「終戦70年」は、日本による植民地支配からの朝鮮半島「解放70年」でもある。この観点からすると、安倍首相の「談話」には、歴史的事実及び歴史認識において看過することのできない問題点がある。この「談話」が、全体として、日本による朝鮮植民地支配の事実およびそれに対する責任を系統的に否認する内容となっているからである。以下、朝鮮史研究の観点から、とくに重要と考える問題点を3点にわたって指摘する。
第一に、自ら植民地化の主体となった近代日本に対する評価である。「談話」では、19世紀日本が西洋諸国によるアジアの植民地化に対抗して「近代化」を遂行したと捉えたうえで、「日露戦争は、植民地支配のもとにあった、多くのアジアやアフリカの人々を勇気づけました」という評価を下している。しかし、いうまでもなく、日露戦争は、中国東北地方および朝鮮半島の支配権をめぐる両国間の戦争であった。開戦直後に日本は、大韓帝国に対して、その中立宣言を無視して「日韓議定書」などを強要して政治的・経済的な干渉を行い、ついには保護国化して実質的な植民地とした。「談話」の日露戦争評価は、こうした重大な歴史的事実を度外視することによってしか成立しえない。その前に起こした日清戦争においても、日本は、朝鮮の民衆運動(甲午農民戦争/東学農民革命)に参加した人々を大量虐殺し、さらに戦後に台湾を植民地化した。19世紀以後の日本の「近代化」は、近隣の国・地域とその住民の主権と人権を踏みにじり、そこで収奪と搾取を恣行したことと裏腹の関係にあったのである。「解放70年」にあたって私たちは、そのことこそを胸に刻まなければならない。
第二に、植民地支配からの独立を目指す運動とそれに対する弾圧に関する認識である。「談話」では、「第一次世界大戦を経て、民族自決の動きが広がり、それまでの植民地化にブレーキがかかりました」と述べた後、「当初は、日本も足並みを揃えました」と論じている。戦間期の「協調外交」を念頭に、英米と「足並みを揃え」たと評することは可能かも知れない。しかし、朝鮮植民地支配に関しては、日本は「民族自決の動き」に「足並みを揃え」ることは決してなかった。1919年の三・一独立運動に対して、朝鮮総督府は厳しい弾圧をもって臨み、数多くの朝鮮人を殺傷し、また拘束した。その後に朝鮮内外で展開した朝鮮独立運動も弾圧し続けた。「談話」では、世界恐慌後の経済ブロック化が、日本に「世界の大勢」を見失なわせる契機となったと弁解している。しかし、「民族自決の動き」に対しては、日本は、19世紀の「近代化」の時期から敗戦に至るまで、一貫して冷酷な態度をとり続けたのである。なお、冷酷な弾圧が「民族自決の動き」に対する恐怖という反作用を生み、それが関東大震災直後の朝鮮人虐殺というさらなる人権蹂躙に帰結したことも付け加えなければならない。
第三に、戦時下における朝鮮人被害に対する責任についての認識の欠落である。「談話」は、アジア・太平洋戦争期における「三百万余の同胞」の命と「戦火を交えた国々」の若者の命の犠牲への言及はしているものの、植民地下にあった人々の犠牲に対する認識がすっぽりと抜け落ちている。植民地下での過酷な戦時動員によって、数多くの朝鮮人が甚大な被害を受けた。1990年代以来歴史認識をめぐる問題の焦点となってきた日本軍「慰安婦」制度も、朝鮮人強制連行も、植民地における戦時動員体制の下での大規模な人権侵害の一環であった。「談話」には、日本軍「慰安婦」問題にも関わるくだりとして、「深く名誉と尊厳を傷つけられた女性たち」という表現があるが、これは、傷つけた主体をあえて語らずに女性の被害一般の問題として設定することで、日本軍「慰安婦」問題に対する日本の責任を回避するものとなっている。
以上、「談話」の内容に即して、3点にかぎって朝鮮と朝鮮人に対する植民地支配責任について述べた。こうした植民地支配責任問題は、今日に至るまで未解決のままである。1965年の日韓基本条約においては、植民地支配に対する謝罪と補償の問題はあいまいに処理された。朝鮮民主主義人民共和国との間では、国交正常化交渉さえもが中断されている。植民地支配に起因する存在である在日朝鮮人に対しては、制度的・社会的差別を解消するどころかむしろ深刻化の様相さえ呈している。植民地支配責任に対する認識を欠いたままでは、「歴史の教訓の中から、未来への知恵を学」ぶことはできない。
「談話」は、「あの戦争には何らかかわりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません」と述べている。謝罪の責務は「宿命」ではない。それは、歴史的事実を謙虚に学び、歴史的責任を誠実に果たそうとする意志の問題である。日本政府がその意志を欠くのであれば、国民は、その意志を堅持しつつ政府をただす責務を負い続けなければならない。朝鮮史研究に携わるものとしてこのことを確認し、日本政府に対して、朝鮮植民地支配に関する歴史的事実を尊重し、その歴史的責任を着実に果たしてゆくことを強く求めるものである。
2015年10月24日
朝鮮史研究会
2024年に朝鮮史研究会の活動の中で会長によるハラスメントを受けたとの申立が幹事長に対してありました。口頭によるセクシャルハラスメント及びパワーハラスメントが行われ、周囲の制止も聞かず継続されたという申立でした。朝鮮史研究会は、ハラスメント防止に関する規程等が未整備のため、賛同している日本歴史学協会のハラスメント防止宣言・ハラスメント防止ガイドライン・ハラスメント防止委員会規程に準ずる形で、幹事長を中心に臨時の対応体制をつくり、まずは申立人保護のために会長・会員としての活動の自粛を要請しつつ、慎重に事実確認のためのヒアリング調査を行いました。研究会内に臨時に設置した対策委員会が、ヒアリング調査結果を踏まえ、ハラスメントの事実を認定するとともに、幹事会に対して対応案を勧告しました。この対応案をもとに臨時合同幹事会を開催して、謝罪の斡旋・加害者の会長職及び研究会活動の停止などを決定しました。会長は事前に辞意を示しており、幹事会の決定についても受け入れました。
総会では以上の措置を承認し、新会長を選出するとともに、前会長の研究会活動停止期間を2年間とすることなどを決定しました。
朝鮮史研究会は、日本歴史学協会のハラスメント防止宣言に賛同し、同協会のハラスメント防止ガイドライン・防止委員会規程の制定にあたっても意見を提出してきました。しかし、会内部においては適切なハラスメント防止体制を整えておらず、今回の事案を未然に防止できなかったことや、発生後の相談、対応の態勢も整っていなかったことについて、真摯に反省し、被害に遭われた方へ陳謝いたします。今後は、ハラスメント防止体制を早急に構築し、誰もが安心して、安全に研究会活動に参加できる環境整備に尽力してまいります。
なお申立人の保護のため、無用の詮索や拡散などをお控えくださいますようお願い申し上げます。
2024年10月19日
朝鮮史研究会