大会

参加者はこちらより事前登録をお願いします(10月15日まで)。

ポスター掲示にご協力ください。

【日時】 2026年10月17日(土)、18日(日)

【会場】 桃山学院大学 和泉キャンパス 1号館

アクセス:南海泉北線・和泉中央駅より徒歩約15分・バス約10分(美術館前行、緑ヶ丘団地下車より徒歩3分)※ 土日祝日・長期休暇中は、大学直通通学バスは運休。

キャンパスマップ

  • 聖アンドレ広場(噴水広場)からの1号館入口は「2階」となりますので、ご注意ください。
  • 正門から自動車通行可能となっております。タクシーでお越しの際は、キャンパス内の聖アンドレ広場(噴水広場)前で乗降してください。

【参加費】一般1500円・学生1000円

第1日 10月17日(土) 1-410教室

講演 13時30分開始(13時より受付)

 大澤研一「朝鮮通信使の宿泊地における迎接態勢についてー都市大坂の事例からー」

 文京洙「戦後在日朝鮮人史への視点——民族の論理/住民の論理」

会員総会 16時~

懇親会 18時~ 聖バルナバ館2階 食堂 参加費 一般5,000円・学生3,000円

第2日 10月18日(日)

パネル 9時30分開始(9時より受付)

1 「戦後」を越境する朝鮮―1960〜70年代日本の社会・文化における植民地主義の残響(1-303教室)

詳細

本パネルは、1960〜70年代にかけて植民地支配の記憶と境界を生きる人々の実存が、戦後日本においていかに表象され、あるいは忘却されたかを問うものである。まず、1970年前後の日本の「帰還運動」が「在韓日本人妻」を単なる内鮮結婚の被害者として回収しようとしたのに対し、彼女らが解放後の韓国社会で模索した生存戦略は、日本側の自己完結的な「戦後」の枠組みを超えるものだったことに注目する。同時期に、日本国内の対抗文化で「イムジン河」が消費された現象も、その背後にある在日朝鮮人のリアリティや朝鮮半島の分断という文脈の欠落を露呈させる形で現れていた。さらに、社会運動では、在日朝鮮人との「実存的連帯」を深めようとして行った日本朝鮮研究所の方針転換すらも、その誠実さゆえに植民地支配責任論を解体していくという逆説を孕んでいた。本パネルはこれらの位相を交差させ、戦後日本に伏流する植民地主義の残響を炙り出す。

報告者・タイトル

孫長熙「「イムジン河」が露呈させた1968年前後の日本における朝鮮の欠落」

鞠承仁「「戦後」を超える在韓日本人妻の生存戦略―山下郁夫『日本人妻』(1973年)を手掛かりに」

韓昇熹「連帯の深化が植民地支配責任論を解体するとき―日本朝鮮研究所の運動論の行方」

2 安倍能成〈再評価〉の試み―京城時代の日記を手がかりに(1-304教室)

詳細

科研チーム「京城時代の安倍能成」は、安倍能成日記の翻刻・注釈作業を進めてきた。本パネルでは、日記を史料として利用することで可能となった安倍再評価の試みの一端を報告する。

まず通堂が安倍日記の概要を紹介する。続く許報告は、京城帝国大学で西洋哲学を講じた安倍の日常的な学問活動に焦点を当てる。際立った業績がないと評されがちな安倍だが、初期のニーチェ翻訳など一定の学問的意義を認め、日記から日々の読書・執筆パターンや参加した研究会などの実態を明らかにする。永島報告は戦後の活動までを視野に入れる。財政的に不安定な私学化後の学習院に、院長・学長であった安倍がなぜ〈東洋文化研究所〉を設置したのかという、いまだ未解明部分も残る疑問に対し、日記からその答えを見出していく。

最後に、安倍の伝記的研究で多くの成果を上げている高田里惠子氏をコメンテーターに迎え、安倍評価をめぐる議論を深めていく。

報告者・タイトル

通堂あゆみ(武蔵高等学校中学校)「史料としての安倍日記の魅力」

許智香(立命館大学)「勉強する安部能成と植民地の帝国大学」

永島広紀(九州大学)「朝鮮研究の「触媒」としての安倍能成」

高田里惠子(桃山学院大学) コメント

3 カトリック教会の日韓連帯―「境界」を越えて可能性をつなぐ(1-305教室)

詳細

日本カトリック教会は、1970~80年代の韓国民主化運動を支援した。日本カトリック教会の支援運動を牽引したのは「正義と平和協議会」(正平協)であり、傘下組織の「韓国委員会」を中心に支援運動を展開した。韓国委員会に所属していた在日朝鮮人の宋栄淳が韓国の民主化運動家である金正男とネットワークを形成し、当時の韓国の状況や民主化運動に関する情報を日本に紹介した。それにより当時プロテスタント系の情報の流れとは別にもう一つの情報の流れを形成していた。そして、正平協を通じての情報は日本のみならず、世界のカトリック教会にも公開され韓国民主化運動の支援を促した。

正平協を中心としたカトリック教会の支援運動は、韓国民主化運動への支援のみならず、日本国内の在日朝鮮人問題や歴史に対する認識の変化をも促した。このような変化は80年代の指紋押捺拒否運動の支援、さらに1986年の白柳誠一枢機卿、1995年のカトリック司教団による戦争責任告白へとつながった。しかし、カトリック教会の支援運動や宋栄淳・金正男ネットワークには「反共」の影が差しており、正平協の運動に対する批判も存在していた。

本パネルでは、カトリック教会の日韓連帯運動の実状や影響、運動の意義について考察する。

報告者・タイトル

趙基銀-「日韓カトリック教会の連帯-宋栄淳-金正男ネットワークを中心に」

古屋敷一葉-「日本カトリック教会1980年代の日韓連帯運動−植民地支配責任に対する贖罪の実践と言葉化(仮)」

大嶋徳-「日韓カトリック教会間の情報交換と正平協の運動の展開 – 書簡を通じた公共圏の形成(仮)」

4 文化コンテンツを活用した朝鮮史・朝鮮文化教育の実践と課題(1-306教室)

詳細

近年、韓国ドラマ・K-POP・映像コンテンツへの社会的関心の高まりを背景に、このような文化コンテンツを朝鮮史・朝鮮文化教育に活用する試みが各教育現場で広がりつつある。本パネルでは、三名の報告者がそれぞれの実践を持ち寄り、文化コンテンツを媒介とした教育の可能性と課題を多角的に検討する。山本浄邦はK-POPを切り口とした朝鮮史教育の授業実践を紹介し、その教育的意義と現場での課題を示す。青野正明は、韓国ドラマを素材として儒教・巫俗・大衆芸能を解説する講義実践を報告する。崔誠姫は、NHK連続テレビ小説『虎に翼』の考証に携わった経験を踏まえ、同作に描かれた朝鮮を歴史教育にいかに活用しうるかを論じる。三報告を通じて、ポピュラー文化と歴史・文化教育との接続をめぐる議論を深めたい。

報告者・タイトル

山本浄邦「K-POPを通じた朝鮮史教育の実践とその課題―「好き」のその先へ」

青野正明「韓国ドラマを用いて解説する儒教・巫俗と大衆芸能―講義「韓国・朝鮮文化」での授業実践」

崔誠姫 「「虎に翼」で描かれた朝鮮から歴史を学ぶ―考証担当者の視点から」

全体会 13時00分開始(17時終了予定)(1-410教室)

統一テーマ「朝鮮史上の「戦後」―古代から近代まで―」

趣旨文

現在も世界各地で武力衝突が続き、多くの人々の生命が奪われるとともに、生活基盤や社会制度が深刻な損傷を受けている。戦闘や軍事行動が終結したとしても、避難や移住、土地や財産の喪失、政治秩序の変動、戦争をめぐる記憶や対立など、その影響がただちに解消されるわけではない。むしろ戦争によって生じた変化は、長い時間をかけて人々の生活や地域社会に影響し続ける。このような現在の状況に対する問題意識を踏まえ、今年度の朝鮮史研究会第63回大会では、「朝鮮史上の「戦後」―古代から近代まで」を統一テーマとして設定する。本大会での「戦後」は、いわゆる第二次世界大戦後に限定されるものではない。古代から近代に至る朝鮮史上の戦争に着目し、その帰結に人々がいかに向き合い、その後の生を営み、社会を組み直してきたのかを歴史的な視点から論じていく。

本大会における「戦後」は、その時代を生きた人々の認識によって左右される可変的なものであり、必ずしも戦争終結直後の数年間のみを意味するものではない。比較的長い時間幅をとり、戦争によって生じた変化が、その後どのように持続し、人々や地域社会にいかなる影響を与えたか、またその中で人々が戦争後の社会をいかに生きたのかを考えたい。戦闘や占領、動員、捕虜化といった戦時中の過程についても、「戦後」という時間に続くものとして、改めて捉え返されることになるだろう。また、戦争による変化を単純な「復興」や「回復」の物語として捉えるのではなく、戦前の状態には戻りえない変容や、新たな対立、排除、不平等が生じる過程にも目を向けたい。

さらに「戦後」という概念を古代から近現代までの各時代に一様に当てはめるのではなく、戦争とそれにともなう変動を経た社会を、それぞれの時代と地域に即して捉える必要がある。このような問題意識のもとに、以下の三名による報告を行う。

金秀鎭氏には、三国統一戦争を経て唐に移住した高句麗遺民のうち、唐朝に出仕した遺民のあり方について論じていただく。

李晐鎮氏には、壬辰戦争と丙子の乱といった対外的危機を経て朝鮮が繰り広げた対外政策の再編を再考し、当該期の東アジア情勢の中で朝鮮の外交がもつ能動的性格を探っていただく。

熊野功英氏には、日露戦争以降の平壌における軍用地収用の実態と朝鮮人側の抵抗、そして植民地期にも再燃した軍用地をめぐる植民地当局と朝鮮人住民との間の複雑な対立・葛藤について論じていただく。

朝鮮史上の「戦後」は、朝鮮半島の内部に限られるものではなく、日本をはじめとする周辺諸国との関係のなかでも展開されてきた。「戦後」をどのような空間の中で捉えるかを考えるうえで、現代日本における「戦後」認識は一つの手がかりとなる。それは、かつての帝国支配下の地域で続く戦争の忘却と表裏のものであった。第二次世界大戦の「戦後」を一国の中に限定して考えることはできないし、そのように見えたとすれば、そのような空間認識そのものが特定の歴史観を反映しているのである。それ以前に朝鮮半島をめぐって起きた戦争の影響についても同様であり、半島内部にとどまらず、人々の域外移動や周辺諸国との外交関係にも及んでいた。滅亡した国家の遺民とその後裔による新たな政治秩序への参入、戦争後の外交秩序の再編、軍用地収用が数十年後の住民生活に及ぼした影響という三つの事例を通して、朝鮮史における「戦後」の時間的・空間的広がりと、各時代に固有のあり方を通時的に検討したい。同時に、朝鮮戦争が休戦状態のまま継続し、分断体制のもとで戦争の影響が現在にも及んでいる朝鮮半島が、いかなる意味で「戦後」を迎え、あるいはいまだ迎えられていないのかという問題意識を共有し、「終わらない戦争」を考える場としたい。

報告

金秀鎭「唐朝出仕高句麗遺民の新しい類型―最近報告された「大相惠墓誌銘」を中心に―」

ねらい

 高句麗遺民の唐朝への出仕は、高句麗滅亡を前後する時期に、高句麗から唐への離脱現象があらわれはじめた頃であった。唐における高句麗遺民第一世代の地位上昇にとって最も確実で早い道は蕃将として出仕した後、軍功を立てることであった。軍功と門蔭を通じた官職の安定的な再生産は高句麗遺民第一世代とその後孫が唐に定着するのに最も重要な役割を果たした。このような内容が記録された墓誌銘を根拠として、この間の高句麗遺民の唐朝出仕は蕃将、すなわち武官一辺倒であったと理解する傾向があった。
 しかし、最近中国で報告された「大相惠墓誌銘」を通じて、唐朝に出仕した高句麗遺民の新しい類型が確認され、注目される。墓誌銘には、この家門が高句麗において代々太史を管掌していたとあるが、太史は天文観測を担当する部署と推定される。文献記録にあらわれない内容である。大相惠の父である大相丑は唐に入った後も、天文と関係する職に任じられていたとみえ、子の大相惠と孫の大相元太まで代々太史監にて業務を担当した。唐代、天文・暦法はとても重要な情報であり、国家機密という性格が強かったが、唐朝が高句麗からの移住者にこのような任務につかせたのは、この家門が天文観測と関連して代々継承してきた知識と技術を保有していることを把握していたためであろう。
 本報告では、「大相惠墓誌銘」を中心にこの家門の出自認識、高句麗での位相、入唐の契機と時期、入唐以後の生活、高句麗の官等である大相を姓として使用した理由、非漢人出身移住者として太史監で活動した内容などについて検討しようと思う。

李晐鎭「朝鮮からみた「乱後の余威」―17世紀の日朝関係と対馬藩―」

ねらい

 朝鮮の17世紀は、いわゆる「南倭北虜」による対外的混乱とその克服の時期であったといっても過言ではない。同じ時期、中国では後金(清)の成立を経て明清交替が進行し、日本では江戸幕府の成立と豊臣氏の滅亡という政治的変動が生じた。こうした周辺情勢の変動が、朝鮮の対外政策の再編を促す背景となったことはいうまでもない。
 こうしたなか、17世紀の朝鮮は、戦乱による被害や外部からの圧力に左右されていたと理解されがちである。ひいては、清・日本という二つの強国に挟まれた受動的な弱小国というイメージが、当該期の朝鮮に対する今日の歴史認識を少なからず規定しているとも考えられる。もちろん、切迫した国際情勢のもとで、朝鮮が対外関係の再編を余儀なくされていたことは否定できない。しかし、外交的難局の打開をめぐる朝廷内の議論や、それに基づいて展開された対外政策をあらためて検討することで、当該期における朝鮮外交の主体性を捉え直すことも可能であろう。
 一方、倭乱や胡乱の余波が収まった17世紀後半になると、朝鮮は比較的安定した対外関係を維持することができるようになった。すなわち、当該期における対外政策の再編を経て、朝鮮は変動する東アジアの国際情勢に適応していったと評価することができるだろう。対馬藩の儒者として日朝関係の第一線で活躍した雨森芳洲は、著書『交隣提醒』(1728年成立)の中で、草梁倭館が成立した頃(1678年)までは日朝関係に「乱後の余威」が作用していたため、日本側、主として対馬藩による強圧的な交渉が奏功していたものの、「乱後の余威」が次第に衰えるにつれて、それ以降はもはや従来の方法が通用しなくなったと述べている。
 こうした芳洲の述懐は、17世紀の日朝関係の性格を鋭く洞察したものとして注目されてきた。しかし、当該期の朝鮮側史料に散見される「南倭北虜」という表現を勘案すれば、芳洲のいう「乱後の余威」は、当該期の朝鮮が置かれていた南北両面からの対外的脅威と、朝鮮の外交的立場を十分に反映しているとはいい難い。むしろそれは、日本側(とりわけ対馬藩)の見方から日朝関係の推移を捉えた歴史認識として位置づける必要があるのではないだろうか。したがって、朝鮮が17世紀半ばまで置かれていた外交的劣勢と、それ以降次第に難局を克服していった過程については、日朝関係の枠組みのみにとどまらず、対清関係も含む対外関係全体のなかで捉え直す必要がある。
 そこで本報告では、「南倭北虜」の危機を経て17世紀後半の外交的安定に至るまでの朝鮮の対外関係の再編について、対中・対日外交の連動性を念頭に置きつつ、対日関係を主軸としてその経緯を具体的に跡づける。それを通じて、当該期の東アジア情勢の中で朝鮮の外交が有していた主体性について考察したい。

 

熊野功英「日露戦争以降の朝鮮における軍用地問題とその再燃―平壌を対象として―」

ねらい

 朝鮮史における「戦後」という問題を考える際、殊に日本による侵略・植民地支配がなされた19世紀後半から20世紀半ばの時期については、「戦後」なるものの内実を問わざるを得ない。というのも、朝鮮近代史研究ではこれまでに日本の朝鮮侵略・植民地支配の性格をめぐって、戦時ないし準戦時だという指摘がなされてきたからである。つまり、日本の朝鮮支配は「戦争状態が伏流化した」(姜徳相)ものであり、日清戦争から数えれば「五○年戦争」(宋連玉)、開港の圧力が加えられた1870年代から朝鮮戦争が終結していない今日をも視野に入れれば「一五○年戦争」(愼蒼宇)というわけである。
 本報告では、このように戦時・準戦時と捉えられてきた近(現)代朝鮮の歴史の中でも、特に日露戦争とその「戦後」に着目し、朝鮮民衆が生きた地域社会を舞台に、戦争が地域社会と朝鮮民衆にいかなる影響を及ぼしたのかを考察したい。日露戦争はまさに「朝鮮植民地化を目的とした植民地戦争」(大江志乃夫)であったが、そうであるならば植民地期はまさに「戦後」そのものである。そして、それが植民地支配である以上、その「戦後」は決して平時とは言い難く、「日常」の中に暴力が常に内在するものであった。本報告では、このように植民地期自体が日露戦争に規定され、戦争に起因した暴力が引き続いていく有様を、日本による軍用地収用の実態とその影響を明らかにすることで迫っていく。
 日露戦争期の軍用地収用は1904年2月23日の「日韓議定書」第四条「軍略上必要ノ地点ヲ臨機収用スルコトヲ得ル事」に基づき、龍山、平壌、義州などにおいて実施された。だが、実際には日露戦争終結後にも軍用地収用をめぐる問題は続いており、それはまさに「戦後」の問題であった。とりわけ、本報告が分析の対象とする平壌は、日露戦争以降に朝鮮全土の中で最も大規模に軍用地が収用された地域であり、朝鮮人住民の抵抗も強力になされた。ところが、これまでこうした平壌における軍用地収用および朝鮮人による抵抗の実態については必ずしも十分に解明されてこなかった。
 また、先行研究において検討がなされてこなかった課題としては、軍用地収用の「その後」の問題も挙げられる。平壌においては植民地期に入ってもなお、軍用地をめぐってその土地の縁故者である朝鮮人住民と植民地当局との間で葛藤が継続し、軍用地問題が再燃化した。本報告では植民地期をも「戦後」と捉えることで、日露戦争が植民地期の地域社会にいかなる影響を及ぼしたのか検討することとしたい。

総合討論

【注意事項】

・講演資料及び全体会報告資料は登録いただいたメールアドレス宛に、前日までにファイルをお送りします。印刷したものは数十部のみ会場で販売しますのでご了承ください。パネル発表の資料は各会場でご確認ください。

・10月17日・18日両日とも、キャンパス内の食堂・売店は営業しておりません。昼食等は各自ご持参ください。

・10月17日・18日両日とも、ほかの建物内で入試や各種検定試験が行われています。そのため、ほかの建物内には立ち入らないようお願いいたします。

問い合わせ先:chosenshi2021taikai@gmail.com


パネルの公募について【受付終了】

 朝鮮史研究会では、2026年10月17日・18日に第63回大会を桃山学院大学和泉キャンパスにて開催する予定ですが、プログラムの1つとして朝鮮史に関わるテーマでのパネル(分科会)を二日目午前中に設けることとします。最新の研究動向について議論・検討する場とすると同時に、隣接分野(人類学、社会学、文学史、美術史など)との交流を図り、その研究成果を歴史研究に活かしたいと考えるからです。大会では、3つのパネルを設ける予定です。

 つきましては、下記の要領でパネルを広く募集いたしますので、会員の皆様の積極的な提案をよろしくお願い申し上げます。

(1)パネルを提案する場合は、①テーマ、②趣旨(400字程度)、③発表者名(所属)・発表題目を、5月31日までに申請フォームから大会組織委員会に提出すること。 

(2)分野・領域・時代は問わないが、朝鮮史に関連したテーマであること。

(3)パネルの提案・責任者は、朝鮮史研究会会員であること。

(4)発表者は、3名ないし4名とする。朝鮮史研究会会員でなくてもよい。

(5)パネルでの発表・討論の時間は、合わせて150分とする。発表言語は日本語・その他とする。日本語以外の言語で発表する場合は、配布資料の翻訳・発表内容の通訳など、日本語対応を必須とする。翻訳・通訳の手配、謝礼は個々のパネルで対応する。

(6)個々のパネルの運営(司会・進行、配布資料の取りまとめなど)は、責任者(またはその協力者)が行なうこと。

(7)発表者の旅費などは支給しない。

(8)パネルの選定は、6月末までに大会組織委員会で行ない、結果を提案者に通知する。内容などに関して、提案者に問い合わせをする場合がある。

(9)朝鮮史研究会ハラスメント防止宣言・朝鮮史研究会におけるハラスメント対策等に関する規程を遵守すること。https://chosenshi.gr.jp/harasu/

【パネルのお問い合わせ先】

朝鮮史研究会(大会担当)E-Mail:chosenshi2021taikai●gmail.com(●を@に変更してください)

締切日:2026年5月31日

(参考)2023年10月開催の大会でのパネルは、次のとおりです。詳しくはこちら

・京城帝国大学研究の領域横断的新展開(発表者4名)

・「朝鮮人村落」苗代川(現鹿児島県美山)に関する歴史叙述の再検討(発表者3名)

・冷戦下の在日朝鮮人問題に対する多様な取り組み-民族差別と祖国分断を乗り越えて(発表者3名)

・朝鮮研究アーカイブ化の可能性と課題:アカデミアと現場を結ぶ(発表者3名)

・朝鮮後期 漕運の規模と漕軍・致敗(発表者3名)