お知らせ
石原都知事発言の歴史認識の誤りを批判する声明(2000年5月19日)

[ 声明 ]
[ 「石原発言」に関する資料 ]
[ 三国人関係資料 ]
[ 石原「三国人」発言関係文献 ]


石原都知事発言の歴史認識の誤りを批判する声明

  石原慎太郎東京都知事の4月9日の陸上自衛隊記念行事、およびその後の記者会見等における発言は、歴史事実についての誤りを含んでおり、日本社会から未だ払拭されていない在日外国人差別を増幅させるものです。

  私たちは、石原氏の発言のなかで、特に在日朝鮮人の歴史にかかわる「三国人」発言、および大規模災害時の外国人による「騒擾」についての発言に対して、朝鮮史研究者の立場から誤りを糾し、正確な歴史事実に基づいた認識の必要性を社会に訴えます。

  石原氏は4月9日「不法入国した多くの三国人、外国人」と発言し、この「三国人」という表現に批判の声が上がると、辞書には「第三国人」の第一義として「当事国以外の国の人」と書いてあり、「外国人」の意味で使ったと釈明しました。しかし言うまでもなく「三国人」は「外国人」と同義ではありませんし、そもそもここで「三国人」という用語を使用しなければならない理由は全くありません。

 一方で「三国人」という語は、石原氏も認めるように、敗戦直後の時期、日本在住の朝鮮人や台湾人などを指す言葉として使用されました。この語の由来は明確ではありませんが、当時、日本の警察当局などは「第三国人」を、連合国人や中立国人ではないが、日本人とも同一の地位ではない「従来日本の支配下にあった諸国の国民」という意味で用いていました。こうした用法は、第二次大戦後に日本を占領した連合国側が、植民地支配から解放された在日朝鮮人などの法的地位を曖昧に規定したことに端を発すると思われ、日本の政府やマスコミなどを通じて広く日本社会で使用されるところとなりました。

 敗戦直後「(第)三国人」という語が、朝鮮人・台湾人に対する侮蔑意識や反感を込めて使用されていたことは疑う余地がありません。そしてこのような意味での「(第)三国人」という語は、戦後長きにわたって是正されることなく使われてきました。たとえば1970年発表の劇画「おとこ道」(梶原一騎原作、『少年サンデー』連載)では、「最大の敵は、日本の敗戦によりわが世の春とばかり、ハイエナのごとき猛威をふるいはじめた、いわゆる第三国人であった!!」「殺られる前に殺るんだ、三国人どもを!!」などと記されています。こうした朝鮮人・台湾人を敵視し、侮辱する文脈で用いられた言葉をいたずらに使用すれば、朝鮮人や台湾人に対して未だに差別意識をもっていると受け止められても、やむをえないのです。

  敗戦直後に日本に滞在していた朝鮮人の大多数は、日本の植民地支配の結果として日本に渡航してきた人々でした。しかし敗戦直後の日本政府は、朝鮮人を「日本国籍の保持者」として日本の法秩序に服することを要求し、民族教育運動などに弾圧を加えながら、一方で朝鮮人の基本的人権を制限しようと「外国人」として取り扱うこともしました(参政権の事実上の「剥奪」、外国人登録令の適用など)。日本政府は朝鮮人に対し、このような相矛盾する二面的な態度を取り、日本社会における朝鮮人差別も依然として温存されていたのです。 今回の石原氏の発言は、こうした「(第)三国人」という語が持つ歴史的な背景を無視し、朝鮮人があたかも日本社会に敵対する存在であるかのようなイメージ
を喚起するものであり、とうてい見過ごすことはできません。

  石原氏はまた、4月9日の陸上自衛隊記念行事で、「不法入国した多くの三国人、外国人」により「大きな災害が起きたときには大きな大きな騒擾事件すら想定される」と述べ、大規模災害に際しての自衛隊による治安維持の必要性を強調しました。石原氏はさらに、4月12日の都庁での会見で、阪神大震災では騒擾事件の事実はなかったと指摘する記者に対し、「東京の場合にはもっと凶悪な犯罪をたくさんしている不法入国、不法駐留の外国人がたくさんいる」と反論しています。しかし、「不法入国、不法駐留の外国人」が大規模災害に際して「騒擾」を起こすと判断できる根拠はありません。

  関東大震災では、朝鮮人に対する差別と偏見から生じた先入観から、まさに「治安維持」の主体であったはずの軍隊や警察が、「朝鮮人暴動」という流言を広めて人々の不安をあおり立てました。その結果、自警団を中心とした民衆による朝鮮人に対する虐殺が発生し、軍隊もそれに加わって、6千人以上とも推定される朝鮮人が殺されました。石原氏は4月12日の会見で「あの時は日本の当局が守り切れなかったから、朝鮮人に被害が出た」と述べていますが、この発言は右の事実に照らせば全くの誤認であって、むしろ実際は、軍隊や警察が危険な朝鮮人という予断を持っていたが故に、このような悲劇が起こったといえます。

  大規模災害において、確たる根拠もない予断こそが、不法在留であるか否かを問わず、在日外国人に対する不当な迫害を生む土台となることは明らかです。歴史的観点からすれば、石原氏の発言は、いわれなき在日外国人差別を増幅させ、ふたたび関東大震災の時のような過ちをもたらしかねない危険性を孕んでいます。

  なお、石原氏は4月12日の都庁での会見で「北鮮」という言葉を使っています。この言葉は日本が朝鮮を植民地支配している当時、朝鮮北部ないしは朝鮮東北部を指す言葉として使われ、さらに朝鮮民主主義人民共和国の成立の後には、その蔑称として使われてきたもので、石原氏の政治的立場にかかわらず、不適切な言葉遣いであることを指摘しておきます。

  以上のように、石原氏の発言は誤った事実認識に基づくものです。これは、東京都知事としての権限と社会的影響力を持つ立場からは、無責任な発言だといわざるをえません。朝鮮史研究会は、石原氏の発言に含まれた事実認識の誤りを糾すとともに、歴史研究の成果を無視した発言に対して強く抗議します。

  私たちは、在日朝鮮人が戦前・戦後をつうじて経験させられてきたさまざまな差別問題を正しく認識し、かつ現存する制度的差別(外国人登録証携帯義務など)あるいは社会的差別(就職差別など)の問題を是正していくことこそが、日本社会が取り組むべき緊要な課題であると考えます。この歴史的課題の解決なしには、在日外国人との共存という今日的課題も達成困難であると思われます。今回の事態を教訓とし、都関係当局においても、これらの課題に対して真摯に取り組むことを切望します。

  最後に、私たちは、研究活動を通じて在日朝鮮人差別の解消に寄与できるよう、一層努力することを表明します。

朝鮮史研究会幹事会


「石原発言」に関する資料

石原都知事の「三国人」発言問題を考えるための資料・文献を紹介します

(関連リンク)


石原「第三国人」発言批判声明・解説

(文責・藤永壮)

 石原東京都知事の「三国人」発言以前に、直接この言葉を分析対象とした研究は、実はそれほど多くない。わずかに次のような論考が存在する程度である。

  • (a)内海愛子「「第三国人」ということば」『朝鮮研究』第104号、1971年4月
  • (b)同「「第三国人」ということば」内海ほか編『朝鮮人差別とことば』明石書店、1986年
  • (c)藤野一「地域史に描かれた在日朝鮮人――「第三国人」表現をめぐって」『在日朝鮮人史研究』第8号、1981年 6月
  • (d)金太基『戦後日本政治と在日朝鮮人問題――SCAPの対在日朝鮮人政策1945~1952年』勁草書房、1997年

 (a)は、ある少年マンガ週刊誌に「三国人」という表現が掲載されたことをきっかけに、この言葉の意味や由来を、敗戦直後のGHQや日本政府の朝鮮人管理政策と連関させながら検討し、あわせてこの語に込められた屈折した排外意識を指摘した先駆的研究である。ただし「第三国人」という語が連合国側によって使用されはじめたかのような叙述は、この間明らかにされた事実から見ると、誤解であったと言わざるを得ない。この点は著者もいち早く気づいたようで、単行本に収載された改訂稿の(b)では「連合国起源説」に相当する部分が削除されている。(c)は地方自治体が編纂した地方史の叙述に登場する「第三国人」のイメージを分析した論考。また(d)の第三章第三節「吉田内閣の登場と「第三国人」批判」で紹介された資料から、1946年7月以降、日本の政府・保守政治家・マスコミなどが、在日朝鮮人に対する反感を煽っていく時期に、「第三国人」という言葉が使用された事例を確認することができる。

 ところで朝鮮史研究会幹事会では、石原知事の「三国人」発言批判の声明を準備する過程で、「第三国人」という言葉の起源を連合国またはGHQに求める見解に、強く疑問を抱くようになった。このような問題意識を発展させ、幹事の一人である水野直樹氏は、最近発表した論文「「第三国人」の起源と流布についての考察」(『在日朝鮮人史研究』第30号、2000年10月、緑蔭書房発売)で、「連合国起源説」を明確に否定する見解を表明している。そこでは、「連合国・GHQ側がこの言葉を使ったことはほとんどなく、使われている場合でも実は日本側の言い方にあわせているに過ぎない」ことが明らかにされた。つまり「第三国人」は「日本の警察・マスコミ・官僚・政治家が使い始め、広めた言葉」ということになる。

 上記論文はもちろん水野氏個人の責任で執筆されたものであるが、これまで朝鮮史研究会幹事会で議論されてきた論点を、実証的に裏付けた研究という性格をもっている。そこでここでは主として水野氏の見解に依拠しながら、公文書や法学者の論文などから「第三国人」という用語の代表的な使用例を紹介しておきたい。

 最初に、法学者が「第三国人」をどのように定義していたのかを見ておこう。

【1】
(4)第三国人 こゝに第三国人といふのは、聯合国民及び中立国民、つまり外国人ではないが、同時に日本人と必ずしも地位を同一にしない、朝鮮人その他の「従来日本の支配下にあつた諸国の国民」(nationals of countries formerly under the domination of Japan)である。強ひていえば解放国民ともいへよう。普通に朝鮮人のほか、琉球人、台湾人が挙げられるが台湾人の地位は未決定なところがある。この第三国人はそれぞれの本国帰還に関して日本裁判所から受けた刑の判決を聯合国最高司令官に再審査して貰ふ特権を有する(一九四六年二月一九日「朝鮮人その他の国民に対して科せられた判決の再審査」に関する覚書、一巻八号司法三)。即ち司法権に関し一部特定の特権を有する。然しその他の点では原則として一般日本人同様、日本の司法権、行政権の下に立ち、特に地方的法律規則に従ふ。即ち外国人一般とは異なる地位にある。金融措置、課税、食糧配給、警察取締り等同様である。[註は省略]
(高野雄一「外交官、外国人の一般的地位」『日本管理法令研究』第14号、1947年11月、28~29頁)

 この論文の末尾には「四六・一二・二五」と執筆年月日が記されている。つまり遅くとも1946年末までに著者は、上のような定義を「第三国人」という用語に与えていたことになる。しかし1946年末までにGHQや連合国側が「第三国人」に相当する語を使用した事例は確認できない。興味深いのは1946年7月の時点で、GHQの指令中に見られる「非日本人」(Non-Japanese Nationals)という言葉を、日本側が「第三国人」と言い換えている例が存在することである。

【2】
466. Memorandum concerning Applicability of Ordinary Taxes to Non-Japanese Nationals.

25 July 1646[ママ]

1. References are memoranda for General Headquarters, Supreme Commander for the Allied Powers, from the Imperial Japanese Government, CLO No.2966(EF), 19 June 1946, subject: “Taxation on Foreigners in Japan” and LO 627, 6 June 1946, subject: “Taxation on Chinese Residents in Japan.”

2. There is no objection to the applicability of local and national ordinary taxation to all non-Japanese nationals except as specified in paragraph 3 below, provided that such taxes are not discriminatory against non-Japanese nationals.

3. No tax will be imposed by the Imperial Japanese Government on the occupation forces, and of personal accredited by the Supreme Commander for the Allied Powers as having a diplomatic status.

4. For purposes of this memorandum the term “ordinary taxes” includes all general taxes presently imposed by the Imperial Japanese Government and by the various local governments. This memorandum will not apply to the impending Capital Levy Law and other taxes of an extraordinary nature.

(『日本管理法令研究』第13号、1947年10月、59~62頁)

 文書中の1646年は、もちろん1946年の誤りであろう。この覚書は、日本政府の「非日本人」に対する課税権限を、GHQが認める内容のものであるが、外務省は1950年に発行した文書集で、これを次のように翻訳していた。

【3】
非日本人に対する普通税の付課に関する総司令部覚書
AG 012.2(21年7月25日)ESS/FI
(SCAPIN 1826-A)
昭和21年7月25日

覚書あて先 日本帝国政府
経由 東京,終戦連絡中央事務局
件名 非日本人に対する普通税の付課

1. 昭和21年6月19日付日本帝国政府発連合国総司令部あて覚書CLO2966(EF),件名,「在日外国人に対する課税」及び昭和21年6月6日付覚書LO627,件名,「在日中国人に対する課税」参照.

2. 後記第3項に特記されているものを除いて,すべての非日本人に対して地方及び国の普通税の付課について異議はない.但し,これらの税が非日本人に対して差別的でないことを条件とする.

3. 日本政府は,軍要員,占領軍に所属する非軍人及び外交官の身分をもつ者として連合国最高司令官が信任した要員の俸給に課税してはならない.

4. この覚書において「普通税」とは,日本帝国政府及び各地方自治団体が現在課しているすべての一般的な税を含むものである.この覚書は,近く実施される財産税法及び他の臨時的性質の税については適用されない.

(外務省政務局特別資料課編『日本占領及び管理重要文書集――朝鮮人・台湾人・琉球人関係』1950年、147~148頁。引用は、同書の一部を復刻した『在日朝鮮人管理文書集』湖北社、1978年、による。)

 ここで【2】の”Non-Japanese Nationals”は、そのまま「非日本人」と直訳されている。ところが【2】の文書が発表された当時、日本政府はGHQの指令を速報する要約文書の中で、以下のように「非日本人」を「第三国人」と言い換えていたのであった。

【4】
五、在日本第三国人に対する課税問題に関する件(七・二五)

在日本第三国人は軍人、占領軍に従属する民間人及び最高司令部に依り外交官の特権を認められたものを除き、すべて日本の国税及び地方税を納めねばならぬ。尤も資本税その他の特別税はこの限りのものではないとの趣旨のものである。

(終戦連絡中央事務局総務部総務課『水曜速報』第25号、1946年8月7日、5~6頁〔影印本『日本占領・外交関係資料集――終戦連絡中央事務局・連絡調整中央事務局資料』第2巻、柏書房、1991年、85頁〕)

 1946年ごろ、GHQが朝鮮人・台湾人を指す言葉として使用したのは、資料【2】に見られるNon-Japanese か、あるいは Koreans、Formosansなどの語であり、むしろ日本側で「非日本人」を「第三国人」と言い換えるような措置がとられていたのである。こうした言い換えが、「第三国人」の「不法行為」がしきりに政治宣伝された時期と、ほぼ時を同じくしてなされていることは注目しておく必要があるだろう。

 以上のように、中央のレベルでGHQが「第三国人」という語を使用した事例は確認できないのだが、連合国占領軍の地方軍政部による指令の中にも検討を要するケースがある。たとえば終戦連絡横浜事務局が1946年12月に作成した次の資料【5】では、同年8月29日、第8軍憲兵課長らが神奈川県警に対して「第三国人」への取締を指示したと述べている。

【5】
第三国人の経済法規違反行為取締の件
 神奈川県当局では本年始めからこの間題について軍政当局へ陳情をしていたが、この点に関するGHQの指令に不明な点もあり最近までこれを看過するの外なかつた処、八月一日以降のやみ取引取締強化実施を機会に八月十三日第八軍幹部からの招請もあり県経済防犯課長出頭現状を説明し、更に二十九日第八軍憲兵課長及法務官の招請で県警察部長出頭、大約左の如き指図を受けたので直ちに積極的の取締りにとりかかることになつた。
一 横浜市の如き進駐軍の駐屯地では日本警察の要請に応じて進駐軍憲兵を日本警官に同伴出動せしめるから、日本側は憲兵隊の指揮の下で行動する形で第三国人に対する捜査、逮捕、抑留を行ふこと(裁判は進駐軍の法廷で行うこと)
二 進駐軍の駐屯せぬ土地では日本側の警察で単独に第三国人の捜査、逮捕、抑留をなすことが出来るが、直ちに最寄りの進駐軍部隊又は憲兵隊へ連絡してその指揮を受けること
 なお前記第八軍当局の説明では、右はGHQからの新たな指令があるまでの措置で、神奈川県でのみならず全国的に同様の方法で取締を行つてよいとのことである。又第八軍司令官はこの問題に重大な関心を持つておるから、各地共第三国人の不法行為は駐屯部隊へ報告をなしその協力を得て今後厳重に取締るべきであるとのことであつた。
(終戦連絡横浜事務局「YLO執務報告(昭和二十一年十二月)」横浜市総務局市史編集室編『横浜市史II』資料編I、横浜市、1988年、39頁)

 ここに箇条書きされた第8軍憲兵課長らによる指令は、「大約左の如き指図を受けた」という文言から、原文を要約したか、または口頭での指示を整理したものと推測されるが、どちらにしてもその英語原文は確認されていない。つまりこの資料からは、第8軍側が「第三国人」という用語を使ったかどうかは分からないのである。

 次の【6】は、「第三国人」に相当する”Third Nationals”という英語表現を確認できる、唯一の使用例である。

【6】
Kyoto Military Government Team Apo 713 (Kyoto Honshu)
Press Release: No.9. 3 June 1947
 一九四七年六月三日附

(31)京都軍政部米陸軍郵便局発新聞掲載許可第9号

In view of the recent phenomenal increase of disputes involving “Therd[ママ] Nationals” over the evacuation of houses that have been referred to this office for mediation or settlement, we wonld[ママ] like to express our views as follows:

 近来第三国人関係による借家明渡の紛争に就いて、本軍政部に調停を求めて来るものが著しく増加しつつあるに鑑み次の如き見解を発表するものである。

[中略]

If there should be any member of the “Third Nations” who declared that he has no reed to obey the Japanese Civil Law because he is a foreigner or who uses such threatening language as that the house shall be requisitioned in the name of the Occupation Authorities, or who otherwise restore to violence intsmidation[ママ], or other unlawful conducts, then his case should be referred to the proper court.

三、若し第三国人が外国人たるの故を以て、日本民法に服する要なしとの論をなし又は進駐軍の名に於て接収するぞ等と嚇し文句を並べるとか又は暴力脅迫その他の不法行為に訴へるとかした者があつたら事件は専門の法廷〔註軍事裁判所又は日本裁判所を指す〕に移して処理さるべきである。

(越川純吉『日本に存在する非日本人の法律上の地位(特に共通法上の外地人について)』司法研修所、1949年、379~381頁)

 原文の”Therd Nationals”はもちろん”Third Nationals”の誤りであろう。京都軍政部は確かに「第三国人」という言葉を使用しているのだが、わざわざ引用符(” “)を付けているのを見ると、日本側が使用した「第三国人」という語を軍政部がそのまま英語に翻訳したと考えるのが自然だろう。

 横浜と京都の事例は、地方軍政部が「第三国人」という言葉を使用した可能性を完全に否定するものではない。しかし注意すべき点は、これらの例が日本の議会やマスコミで「第三国人」の使用が定着した後に現れていることである。1946年の時点で地方軍政部の文書が主に使用しているのは、やはりNon-Japanese あるいは Koreans、Formosansなどの語であった。

 以上、ここまでは「第三国人」という言葉の起源に関係する資料を中心に紹介してきたが、最後に「第三国人」という言葉がいわば「公式用語」として流通する契機となった、大村清一内務大臣の発言をとりあげておきたい。

 1946年8月17日の衆議院本会議で椎熊三郎議員は、朝鮮人や台湾人が、日本敗戦と同時に「恰モ戦勝国民ノ如キ態度ヲナシ、其ノ特殊ナル地位、立場ヲ悪用シテ」、日本の法と秩序を無視し、傍若無人の振る舞いを行っていると非難したうえで、朝鮮人の密航、闇取引などを取り締まるよう政府に要求した。この椎熊発言は、在日朝鮮人に対する偏見を煽るものとして、ただちに厳しい批判を受けるが、「第三国人」という言葉そのものは登場していない。

 「第三国人」という語は、椎熊の質問に対する大村清一内相の答弁の中で使用されることになる。

【7】
○国務大臣(大村清一君)[中略]

 次ニ第三国人ニ依リマシテ、或ハ闇市場ニ於ケル各種ノ好マシカラザル行為ガ頻々トシテ行ハレテ居ルコト、或ハ列車ノ中ニ於ケル暴状、不正乗車、是等見ルニ忍ビザル行為ニ付キマシテハ、国民斉シク不快トセラレ、又是ガ我ガ国ノ治安ヲ攪乱スル一ツノ重大ナ要素デアルト云フ点ニ付キマシテ、多大ノ憂慮ヲ寄セラレテ居リマスコトハ、私共洵ニ恐縮ニ存ジテ居ル所デアリマス、幸ヒニシテ列車ノ暴状ニ付キマシテモ、数次ノ厳重ナル取締ニ依リマシテ、逐次改善ヲ致シテ居ルコトハ明カデアリマス、此ノ点ニ付キマシテハ更ニ鉄道警察力ノ整備ト云フヤウナコトモ致シマシテ、列車内ニ於ケル暴状ハ断然之ヲ根絶スルト云フ所マデ、取締ヲ強化スル決心デ居リマス

 尚又露店ノ暴状ニ付キマシテハ、予テ相当ノ取締ハ致シテ居ツタノデアリマスガ、八月一日ヲ期シマシテ断乎タル取締ヲスルト云フ方針ヲ確立致シマシテ、東京、大阪其ノ他ノ大都市ヲ初メ、逐次地方二亙ルマデ取締ノ徹底ヲ期シテ居リマスガ、其ノ実績ハ幸ヒニシテ予期以上ノ効果ヲ収メテ居ルト申上ゲテ毫モ差支ナイト思フノデアリマス、今後一層取締ヲ厳ニシ――又一面ニ於キマシテハ所謂青空市場ノナクナリマシタ為ニ、一般民衆ニ与フル不便ヲ救フ、乃至ハ戦災者、帰還者其ノ他洵ニ気ノ毒ナ人々ガ、青空市場ニ於テ生計ヲ立テテ居ルト云フコトモ少クナイノデアリマス、是等ノ人々対シマシテモ適切ナル方途ヲ講ジマシテ、闇市場ト云フヤウナ不法ナ商売デナク、正業ニ依リマシテ生計ヲ立テル、又一般民衆モ闇市場ニ依ラズシテ、公正ナル市場カラ需要品ヲ容易ニ買ヒ得ルト云フ所ニ目標ヲ置キマシテ、各省協力致シ、ソレ等ノ施策ト相俟チマシテ、闇取引ノ根絶ヲ期スルコトニ邁進スル決心デ居リマス

 尚ホ第三国人ノ課税問題、又取締ノ徹底問題ニ付キマシテハ、今日只今ノ所ニ於キマシテハ、裁判管轄ノ点ニ於キマシテ結論ニ達シテ居ナイ点ガアリマスガ、此ノ点ニ付キマシテハ目下政府二於キマシテ極力解決ニ努力ヲ致シテ居リマス、速カニ是ガ解決ヲ致シマシテ、第三国人ハ我ガ国民ト同等ノ機会ニ恵マレマシテ、公正ナル営業取引ヲ致スコトニスルコトガ絶対的ニ必要デアリマスノデ、政府ト致シマシテハ、此ノ点ニ付キマシテ深甚ノ考慮ト遺憾ナキ努力ヲ致シマシテ、国民ノ御期待ニ副フヤウニ努メル決心デアリマス

(『官報号外』1946年8月18日、衆議院議事速記録第30号、454~455頁)

 前掲水野論文によれば、これが議会で「第三国人」という言葉が使用された最初のケースのようである。マスコミでの使用例は今のところ1945年末にまでさかのぼることができるものの、内務大臣の発言は、「第三国人」に「公式用語」としての「正当性」を付与する役割を果たしたと考えられる。(その他、日本の政府・政治家・マスコミなどが、具体的にどのような「第三国人」イメージを流布し、定着させていったのかについては、すでに前掲の諸論文が叙述しているところなので、そちらを参照していただきたい。)

 さて「第三国人」という言葉を使い始め、広めたのが、日本の政府・政治家・マスコミなどであったとすれば、この語の歴史的性格はいっそう明確になったと言えるだろう。すなわち水野氏が前掲論文で指摘するように「「第三国人」という言葉は、朝鮮人や台湾人は凶悪な犯罪者、日本社会の秩序と安全を脅かす恐怖の存在というイメージを広め固着させるために使われた言葉だったのである」。こうして闇市などで「第三国人」が「不法行為」を行っているというイメージは、不当に誇張、宣伝され、従前からの差別意識と結びつきながら、日本人の意識の中に沈殿していったものと考えられる。

 石原都知事は、大規模災害時における自衛隊出動の必要性を強調するために、「不法入国した多くの三国人、外国人が非常に凶悪な犯罪を繰り返している」と述べた。敗戦直後に「第三国人」に対する否定的なイメージが流布された背後にも、当時の経済的混乱の責任を「第三国人」に転嫁し、あわせて朝鮮人・台湾人への取締強化を正当化しようとする意図が存在していたと考えられる。すなわち、ある特定の政治目的のために排外意識を利用しようとする手法は、両者に共通しているのである。その意味で石原発言のねらいは、「不法入国した外国人」=犯罪者という、新たな“「第三国人」イメージ”をつくりだすところにあったと言えよう。


石原「三国人」発言関係文献

インターネット・サイト

論文

  • 内海愛子「「第三国人」ということば」 『朝鮮研究』(日本朝鮮研究所)104, 1971年4月,pp.15‐26.
  • 内海愛子「「第三国人」ということば」 内海ほか編『朝鮮人差別とことば』明石書店、1986年
  • 藤野一「地域史に描かれた在日朝鮮人――「第三国人」表現をめぐって」 『在日朝鮮人史研究』8,1981年 6月,pp.60‐74.
  •  
  • 金子秀敏「『三国人』発言の核心は差別より扇動だ」 『毎日新聞』2000年4月23日社説「視点」
  • 佐藤勝巳「「三国人」は本当に差別語か」 『現代コリア』2000年 5月号、pp.22-29.
  • 秦郁彦「「第三国人」と言ったのはGHQじゃないか」 『諸君』2000年6月号、pp.90-96.
  • 村井紀「石原都知事「三国人」言説の起源」 『世界』 2000年6月号、pp.26-29.
  • 「緊急特集 石原慎太郎東京都知事の『三国人』差別発言」 『季刊Sai』第35号(2000.6.1)、大阪国際理解教育研究センター、pp.4-12.
  •  
  • 藤野豊「『三国人』はどう使われてきたか」 『部落解放』2000年7月号
  • 天野一哉「(金曜アンテナ)石原都知事に公開質問状 リコール運動の準備もはじまる」『週刊金曜日』2000年4月21日号、p.4
  • 谷本美加「(金曜アンテナ)「外国人」の言葉すら差別的に使われている」 『週刊金曜日』2000年4月21日号、p.4
  • 本多勝一「(風速計)ヒトラーに嗤われる男」 『週刊金曜日』2000年4月21日号、p.7
  • 深津真澄「石原「三国人」発言が映し出す近代日本史の暗部を忘れるな」 『週刊金曜日』2000年4月21日号、p.8
  • 坂本龍彦「ヒトラーに似た民族的偏見と暴力信仰」 『週刊金曜日』2000年4月21日号、pp.52-53.
  • 辛淑玉「「三国人」発言ではっきりした選民思想」 『週刊金曜日』2000年4月21日号、p.54
  •  
  • “A New Open Door polisy?” 『Newsweek』2000年6月5日号
  • “INTERVIEW ‘It’s Time to Speak out’――A controversial politician changes his tune on migrants”『Newsweek』2000年6月5日号

単行本

  • 内海愛子・岡本雅享・木元茂夫・佐藤信行・中島真一郎著  『「三国人」発言と在日外国人――石原都知事発言が意味するもの―― 』  (明石ブックレット10 )、明石書店、 2000年 6月25日、本体 1000円、141p
  • 内海愛子・高橋哲哉・徐京植編  『石原都知事「三国人」発言の何が問題なのか』影書房、本体 1800円
  • (*おまけ) 石原慎太郎研究会(久慈力・柴田勇雄・辛淑玉)著  『石原慎太郎猛語録』現代書館、本体1800円

(作成・廣岡浄進)