大会

第60回大会(2023.10.21-22, 滋賀: 滋賀県立大学)

[ポスター(PDF)] 掲示にご協力ください

朝鮮史研究会第60回大会のお知らせ

朝鮮史研究会第60回大会を以下のとおり実施します。

【日時】2023年10月21日(土)・22日(日)

【会場】滋賀県立大学(滋賀県彦根市、JR南彦根駅よりバスで15分orJR彦根駅よりバスで25分)

アクセスマップキャンパスマップ
参加申請 ](10月18日まで)

参加費 一般1,500円・学生1,000円

お問い合わせ chosenshi2021taikai@gmail.com


第1日 10月21日(土)

13時より受付・13時30分開始

講演

リレートーク「塚﨑昌之さんの業績を振り返って」(関西部会幹事)※

金 廣烈氏 「韓国における関東大震災時朝鮮人虐殺事件の捉え方と歴史研究」

※塚崎昌之さんの急逝により内容を変更しました。

総会 16時~ (会員のみ)/懇親会 18時~(一般4000円、学生3000円)


第2日 10月22日(日)

9時より受付・9時30分開始

■パネル(9:30~12:00) 

パネル1 京城帝国大学研究の領域横断的新展開(A1棟112教室)

『帝国日本と植民地大学』(二〇一四年)を代表的なものとして、旧植⺠地の高等教育をめぐり、すでにさまざまな方向からのアプローチ方法と議論の深化がみられる「京城帝国大学」研究に、本パネルは新たな展望を提示しようとするものである。すなわち、これまでの研究成果の現況を通観した上で、「内外地」の帝国大学のみならず、あるいは南方軍政施行地の教育行政にまで拡がる学知の周辺、そして戦後へのつながりまでを視野に入れながら、京城帝大研究の新たな地平を展望するものである。以下、それぞれの報告の趣旨について簡略に示しておく。
通堂は引揚後にも維持される京城帝大時代の人的ネットワークを、「新制」大学が創設される過程から確認する。新里は朝鮮の独逸語教育史における京城帝大の位置付けを検討する。許は京城帝大の「哲学・哲学史」講座について、学生という側面から検討する。永島は「附置研究所」の設置をめぐる帝国大学の戦時対応を考察する。

報告者・タイトル

通堂あゆみ「新制武蔵大学の創設と京城帝国大学」
新里瑠璃子「京城帝国大学と朝鮮の独逸語教育史」
許 智香「京城帝国大学〈哲学・哲学史〉講座の学生たち」
永島広紀「〈戦時の帝大〉と〈帝大の戦時〉」

会場 A1棟112教室

パネル2 「朝鮮人村落」苗代川(現鹿児島県美山)に関する歴史叙述の再検討(A1棟113教室)

苗代川は壬辰戦争によって「連行」された朝鮮人が政策的に集住させられた村落であり、江戸時代を通して薩摩藩の特別の保護と厳しい統制の下に置かれた。「苗代川者」という周縁的身分に固定され、陶磁器生産を義務化された苗代川住民の生活に対しては、第一次史料の不足のため、不明な部分が多いだけでなく、薩摩の地誌学者や旅行者という外部の観察を基に一定のイメージが形成され、拡散された。朝鮮の歴史や文化に対する没理解と住民自身の生活安定と矜恃のための「物語」は、近代に入ると「日鮮」融和の象徴として、現在では「村興し」の素材として再生されている。それは苗代川を対象とする日韓の研究においても同様で、異郷に生きる彼らが朝鮮の伝統的生活文化を維持し、「檀君」信仰を支えに四百年を過ごしたというイメージを土台とする叙述が多かった。
最近ようやく日本の諸史料の相互突き合わせや朝鮮史の側からの視点によって、新しい研究が始まった。すなわち苗代川の作られたイメージの根元である歴史叙述を根本から検討しようとする論議である。
本パネルでは、そのような最新の研究動向を踏まえて、現地調査によって得られた知見やあらたに発見された史料・遺跡・遺物の分析を通して、玉山神社祭神「檀君」、薩摩焼の陶祖、薩摩藩の朝鮮人政策の実態を対象とする苗代川研究の最前線を提示する。

報告者、タイトル

深港恭子「薩摩藩による苗代川政策の実態について」
井上和枝「苗代川玉山神社の祭神檀君に対する再考察―文献・祭祀方法・遺物からの接近」
木村 拓「薩摩焼の「陶祖」言説―「薩摩陶器創祖朴平意記念碑」をめぐって」

会場 A1棟113教室

パネル3 冷戦下の在日朝鮮人問題に対する多様な取り組み-民族差別と祖国分断を乗り越えて(A1棟204教室)

在日朝鮮人は、日本の植民地支配の生き証人といわれるが、朝鮮半島の南北分断の影響を受けた存在でもある。つまり、戦後も継続する植民地主義による朝鮮人差別との闘いとともに、祖国統一という「二重の課題」を抱えている存在である。冷戦下の在日朝鮮人の運動と思想に関しては、在日朝鮮人が朝鮮半島の分断を生きる姿に関心を寄せるより、 日本社会における在日朝鮮人差別を是正するための一連の運動に焦点を合わせた形で議論されてきた 。朝鮮半島の南北の対立が在日朝鮮人社会に甚大な影響を与えたことを想起すると、分断の不条理を克服するための行為についてもより議論を深めるべきだろう。本パネルでは、在日朝鮮作家の文学作品からみる韓国民化運動に対する応答、本国との連帯を求めた在日朝鮮人の韓国民主化運動、朝鮮統一を望む在日朝鮮人との連帯を模索した日本人たちに関する察を通して在日朝鮮人が抱えた「二重の課題」に迫りたい。

報告者、タイトル

韓昇熹「在日朝鮮人の権利獲得運動と朝鮮半島統一理念の交錯」
趙基銀「境界」を超える連帯-韓国民主化運動における「連帯」の意味
岡崎 享子「金時鐘『光州詩片』(1983)からみる韓国民主化運動への共振」

会場 A1棟204教室

パネル4 朝鮮研究アーカイブ化の可能性と課題:アカデミアと現場を結ぶ(A1棟205教室)

朝鮮史研究会の今大会の会場である滋賀県立大学では、在日朝鮮人研究者として朝鮮近現代史研究に大きな足跡を残した朴慶植と姜在彦の旧蔵資料を譲り受け、その整理を進めてきた。
大阪公立大学人権問題研究センターでは、大阪市立大学当時の二〇二〇年四月に設置された大阪コリアン研究プラットフォームが活動を始めている。日本最大のコリアンコミュニティがある大阪を拠点に、アクティビズムとアカデミズムをつないでいくという目標を掲げて、若手研究者のネットワーキング活動のほか、関係者から史資料の提供を受けて、そのアーカイブ化に取り組んでいる。
また今年、大阪コリアタウン(旧猪飼野エリア)に大阪コリアタウン歴史資料館が開館し、現在の姿が生まれてきた歴史を学ぶ場づくりを進めている。
本パネルでは、これらの取り組みを紹介し、その研究利用の可能性などについて議論するとともに、あわせて朴慶植文庫・姜在彦文庫の見学もおこないたい。

報告者、タイトル

伊地知紀子「大阪コリアタウン歴史資料館について」
洪ジョンウン「大阪公立大学の大阪コリアン研究プラットフォームの取り組みとアーカイブ作成について」
河かおる「滋賀県立大学の朴慶植文庫・姜在彦文庫の紹介と見学案内」

会場 A1棟205教室

パネル5 朝鮮後期 漕運の規模と漕軍・致敗(A2棟201教室)

朝鮮の財政は、納税者⟶ 地方の漕倉⟶ 船運(漕運船、漕軍)⟶ 漢陽の京倉⟶ 需要者という経路からなる漕運制度によって運営されていた。ゆえに、漕運を通してソウルに輸送された税穀の規模と分配過程を明らかにすることは、ソウルの米穀受給方式を理解する重要な端緒であると同時に、穀物移動における漕運制度がもつ意味を解明することにもつながる。次に、漕倉に所属していた漕船に乗って税穀を運搬する義務を付与された漕軍についての研究は、漕運制度研究の深化に一助するものであるが、十八世紀慶尚道「漕軍案」を手がかりに、記載方式、充員原理、漕軍現況等を分析する予定である。最後に、漕運船は運行過程において各種の事故にあうが、朝鮮の歴史上で最大規模とみられる一七六七年(英祖四十三)全羅道霊光郡法聖倉の漕運船沈没事故の概要と、原因究明および事故処理について明らかにしていく。

報告者、タイトル

崔妵姫 「朝鮮後期、ソウルにおける漕運穀の規模と分配」
文光均「十八世紀朝鮮王朝の漕軍案研究-慶尚道を中心に-」
金德珍 「一七六七年、法聖倉漕運船の沈没事故」

会場 A2棟201教室


■全体会(13:00~)

統一テーマ 地域からみる在日朝鮮人史(A2棟202教室)

安田昌史氏
「戦前、京友禅産業における朝鮮人の同業者組合ー京都友禅蒸水洗工業協同組合を事例にー」

本報告では、京友禅産業における朝鮮人の同業者組合を論考する。京友禅産業とは、着物の生地を生産する染色産業の一種である。京友禅産業の最終工程である蒸水洗工程において、朝鮮人が経営者として、また労働者としても集中的に従事してきた。この蒸水洗工程に従事した経営者らによって「京都友禅蒸水洗工業協同組合」(略称、蒸水洗組合)が作られた。この蒸水洗組合を事例に本報告では、一九四五年から一九五〇年代にかけての組合の結成過程や活動、朝鮮人経営者や労働者がどのようにこの組合の運営に関与したのかを論じる。
これまで京都の在日朝鮮人の社会経済的状況に関して、様々な角度から研究が行われてきた。一九九〇年代に入り、様々な歴史資料や統計をもとに戦前の京都の在日朝鮮人の経済社会的な状況が明らかにされてきた。他方、戦後の在日朝鮮人に関する公的な資料は戦前ほど豊富ではなく、そのため戦後の京都の在日朝鮮人の研究は戦前ほど多くはない。しかし、二〇〇〇年代に入り少数ではあるが実証的な研究が発表され、戦後の京都の在日朝鮮人の状況も注目されるようになってきた。
また日本の敗戦直後の全国的な動きとして、在日朝鮮人の経済活動条件は不利であると言われた。資材や原料問題を解決すべく、朝鮮人の同業者同士の連絡を緊密にし、有利な条件をつくることが求められた。そのため、日本各地に業種別の朝鮮人の同業者組合が誕生した。だが京都の在日朝鮮人に関する先行研究では、この時期の朝鮮人の同業者組合がどのような組織であり、どのような活動であったのかについて分析されることがなかった。
そこで本報告では、京都の繊維産業の中でも染色の京友禅産業に着目する。その中でも、蒸水洗工程を担う朝鮮人経営者によって作られた同業者組合の「京都友禅蒸水洗工業協同組合(蒸水洗組合)」を論じる。
具体的には、蒸水洗組合作成の資料や行政資料、新聞記事、聞き取り調査などをもとに、どのような経過を経てこの組合が結成されたのかを分析する。また、この組織がどのように運営されていたのかを論考する。続いて、この組合は戦後の京友禅産業内でどのような活動を行っていたのかを分析する。特に一九五〇年代に行われたストライキを中心に、どのような目的を立て活動していたのか、そしてどのように決着していったのかを見ていく。
この蒸水洗組合を論じるにあたり、西陣織産業に存在した朝鮮人の同業者組合と比較しながら考察する。

呉永鎬氏
「鳥取県西部在住朝鮮人の民族教育経験ー1950~60年代における午後夜間学校を中心に」

本報告は、鳥取県米子市で在日朝鮮人によって取り組まれていた「午後夜間学校」の歴史を、文書資料およびそこで教師として働いていた者ならびに学んでいた者への聞き取り調査をとおして明らかにするものである。ここで取り上げる午後夜間学校とは、一九四九年の全国一斉の朝鮮学校閉鎖措置以降、一般の公立学校等に通うことになった在日朝鮮人児童・生徒たちが、放課後に一時間程度朝鮮語や朝鮮の歴史、音楽等を学ぶことを目的に設置された教育機関を指す。学校閉鎖後、公立学校内に設置された民族学級とは異なり、午後夜間学校は民族団体の事務所内やその近くに建てられたプレハブなどで開かれ、公的補助はなく、在日朝鮮人の自助努力によって運営された。鳥取のほか、北海道、青森、茨城、東京、埼玉、千葉、奈良、和歌山、兵庫、島根、福岡等、全国各地に設置されたものの、先行研究は皆無に等しく、その実態はほとんど明らかになっていない。
本報告では、占領初期の鳥取県軍政部活動報告書や鳥取県が所蔵する行政文書、民族団体(在日本朝鮮人連盟、在日朝鮮統一民主戦線、在日本朝鮮人総連合会等)の会議文書、山陰の地方新聞、民族団体発行の新聞等を用いながら、鳥取県における在日朝鮮人社会の形成と朝鮮学校の開設および閉鎖の過程を確認したのち、全国的な午後夜間学校の展開と鳥取県における取り組みについて論じる。
解放後在日朝鮮人の教育史研究は大まかに、朝鮮学校の研究と日本の学校における在日朝鮮人教育とを中心に展開してきた。いずれもが、近代以降の主たる人間形成の場となった学校に焦点を当て、また在日朝鮮人が多住する関東圏や関西圏を対象とする傾向を有している。学校以外の教育機関、また必ずしも集住しているわけではない地域での民族教育経験を明らかにすることで、在日朝鮮人教育史をより立体的に把握することができるだろう。言葉を換えれば、植民地支配から解放された後の日本社会を生きていくうえで、在日朝鮮人の子どもたちがどのような困難に直面していたのか、またそれらを乗り越えたり向き合ったりしていくためにどのような工夫を凝らしていたのか、脱植民地化の諸相をより具体的に描くことが、本報告のねらいである。

全ウンフィ氏
「戦後~1960年代前半の宇治市ウトロ地区にみた都市郊外農村における在日朝鮮人の集住過程」

本報告のねらいは、宇治市ウトロ地区における在日朝鮮人の集住過程を地理学的視点から検討することである。その過程は、植民地政策における社会的移動とその戦後処理という構造的要因を背景としながら、各地において多層多様に展開する。本報告では、とりわけ京阪神都市圏における郊外化期以前の都市郊外農村という地域性に着目して在日朝鮮人の戦後の定着過程の一端を素描したい。
在日朝鮮人の集住に関する従来の研究は、都心周辺の住工混合地域とその都市社会・就業的集積との関係に主な関心が置かれ、近年「外国人住民の『集住』現象が顕著でない『非集住地域』」(徳田 二〇一六:一〇)に焦点が当たっている。本報告で取り上げる都市郊外農村は、高度経済成長期後期に都市圏に編入された現在の大都市郊外エリアを指す。そこでの集住は郊外化に伴う日本人の増加により「人口比」としては埋没されていくが(千葉 一九八七)、高野(二〇二〇ほか)から、戦前から戦後に渡る都市化に伴う外縁部への局地的な移動と当時の斜陽産業の分業的立地との関係が窺える。
ウトロ地区は、戦時期の飛行場新設計画の建設労働者宿舎にその朝鮮人労働者及び親族が住み続けて形成された。拙稿(二〇二一)では住民の土地取得過程を分析し、郊外化期以降の大都市内外からの移入と職住一体の土木建設・廃品回収業の集積による集住の拡大継承を明らかにした。
当日は、拙稿(前掲)の知見を踏まえた上で、分析が不十分であった戦後から一九六〇年代前半におけるウトロ地区での集住過程を、一九六〇年代半ばまで都市近郊農村であった地域社会の産業構造との関係に注目して検討する。具体的には、ウトロ住民が地域社会と葛藤・共存する兼業農家として、京都市南部ほかの都市的資源に接続しながら民族と業種の重なる空間をつくっていく過程を裁判記録と聞き取り集、地域新聞などを用いて提示したい。
参考文献
全ウンフィ (二〇二一)宇治市A地区にみる高度成長期以降の「不法占拠」の存続要因、都市文化研究、二三、三―一四.
高野昭雄 (二〇二〇)京都市西部地域における都市化の進行と在日朝鮮人、鷹陵史学、四六、四七―六九.
千葉立也 (一九八七)在日朝鮮・韓国人の居住分布.(古賀正則編『第三世界をめぐるセグリゲーションの諸問題』一橋大学)四五―八四.
徳田剛・二階堂裕子・魁生由美子 (二〇一六)『外国人住民の「非集住地域」の地域特性と生活課題』創風社出版.

総合討論

※会期中、朴慶植文庫・姜在彦文庫の見学を実施します。
両日とも、10:00~13:00に特別に図書館を開館し、朴慶植文庫・姜在彦文庫のある書庫の見学・閲覧できるようにしてもらいます。見学希望者数の事前把握のため、ご予定の回答にご協力下さい。
22日(日)のみツアー見学を実施します。
1回目:10時30分頃~(パネル4「朝鮮研究アーカイブ化の可能性と課題:アカデミアと現場を結ぶ」参加者のみ対象)
2回目:12時10分頃~

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